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聖地には蜘蛛が巣を張るのlotusのレビュー・感想・評価

聖地には蜘蛛が巣を張る(2022年製作の映画)
4.2
すごい映画だった。
殺人犯が誰なのか、わかった後からが一層すごかった。

ストーリーはイランの聖地マシュハド。女性の連続殺人(フェミサイド)が起こっており、街の人々は不安に怯えている。

その街にやってきたのが女性のジャーナリスト、ラヒミだ。彼女は短い髪の毛でジーンズを履き、タバコを吸う。ほとんどの女性がヒジャブやブルカを着、保守的な生活を送る中で、現代的な女性として描かれている。

彼女がマシュハドのホテルにチェックインしようとすると、システムエラーで予約がないと断られる。この街では女性1人では宿泊できないのだ。ジャーナリストの身分を明かすと、システムエラーは直ったと言って泊まれるようになるが、端的にこの街がどういうところか示されている。

彼女は事件の真相を暴くため取材を始めるが、協力を仰いだ新聞社や警察は「上からの重圧がある。忖度しなければ」と事件解決に前向きではない。

おまけに、彼女がこの街に来ることになったのは前の新聞社で上司と色恋沙汰になったからというデマを流されたためなのだが、新しい新聞社の同僚には冗談っぽくその話を聞き出されるなど、彼女自身も二次加害を受けている。

加害はそれだけでは収まらず、その噂を知った警官は捜査に協力するフリをしてラヒミのホテルに押しかけ、「色恋沙汰」の相手になるよう迫る。加害はそんなふうに連鎖されていく。

この映画の中では、連続殺人事件だけではなく、女性があらゆる局面で貶められ、加害者が負うべき責めが被害者に転嫁されていることが描かれている。

次第に、犯人は娼婦のみを狙って殺していることが明らかになる。犯人には妻と子供2人がおり、つましい生活ではあるが、ごく普通の生活を送っている。

しかし、「急に怒るようになった」と妻に言われているので、おそらくPTSDと思われる。
かつてイラン•イラク戦争に従軍しており、その頃の記憶を同じ従軍経験がある友人と車の中で話すシーンがあるのだが、その懐かしむ様子は楽しそうですらある。

殉職した他の軍人は英雄になるが、生き残った自分は忌まわしい記憶とともに、日々を労働にすり減らさなければならない。

戦地から還ってきた軍人は元の生活に戻ることが難しい。目標を失った彼は新たな目標を見出す。それが「街の浄化」だ。

聖なる地で穢らわしい女たちを殺すことを自らの使命と捉えて、夜な夜な殺すべき娼婦を物色する。

しかしその娼婦たちは元より聖地で救われることのない人たちだ。

体には痣の跡があり、1人で子を育て、身体を売って得られるはずの金は約束通り支払われないこともある。救いは耐えられない現実をわずかな間忘れさせてくれるクスリだけだ。

宗教は彼女たちを救わない。彼女たちはシリアル•キラーによって、信仰の証として頭にかぶるヒジャブを使って締め殺される。

解決の糸口がなかなか見つからない中で、ラヒミはかなりの危険を犯して犯人を突き止める。しかしこれで事件解決とはならない。

妻は夫が正しいことをしたと信じており、近所の八百屋も何人も殺した犯人に同情的で、野菜を息子にサービスする。何人も殺した父親が英雄扱いされる様に笑みを浮かべる子どもの顔はぞっとするものだった。

裁判所の外では犯人を支持する市民たちが犯人を救うよう声を上げて集まっている。聖地が聖地であるためには、弱いものを救うのではなく、排除することが正しいのだと。

妻は、今こうやって集まっていても、みんな自分たちの生活に帰っていく、と俯き述べる。夫が起訴されてしまえば、働き口を見つけるのが難しい女性である彼女はどうなるのだろうか。

犯人は法に裁かれるが、それで終わりとはならないことがエンディングで示される。

ラヒミの手柄は、ラヒミを手籠にしようとした警官に奪われる。

取材の過程で撮ったインタビュー動画には、犯人の息子と娘の姿が映されている。

ホームビデオの映像に映るのは、一見、無邪気に遊ぶ子供2人だが、一連の事件が起きてしまった環境や価値観を疑いもなく無邪気に内面化する様子が映っている。

事件の「解決」によってラヒミはマシュハドを去るが、おそらくこの聖地は変わることなく、「聖地」として続いていく。

数秒ほどだが、冒頭のほうで犯人がぼんやりと9.11テロ事件のニュース映像を見ているシーンが映る。

様々な暴力の連鎖が時間や空間を超えて続いていく。
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