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聖地には蜘蛛が巣を張るのいののレビュー・感想・評価

聖地には蜘蛛が巣を張る(2022年製作の映画)
4.1
事実に着想を得たとのこと。猟奇殺人の怖さだと覚悟して行ったら、怖さの種類が想像していたのとは違うてた。妄信者の後ろにはもっと底なしのものがあって、それがどのくらいのものなのか計り知れない怖さ。底なしの暗闇を覗きこんだような気持ち。虚無を覗き込むというのはこういうことをいうのかもしれない。怒りも諦めも絶望も悲しみも。あらゆる感情が全て暗闇に吸いこまれて、立ち尽くすしかできない。そんな気持ちになった。


「街を浄化する」という狂信に基づく行動に一切の迷いがない。まだまだやりたかった。もっと殺りたかった。時々、加害者は自信に満ちあふれた恍惚の表情も浮かべる。彼を英雄視する人々。加害者の家族。血が染みているであろう床の上でその後も生活し続けていけるということ。誰も被害者に思いを馳せない。春を売るのは買う人がいるからであって、供給と需要で成り立っているのに、女性だけが虐げられることに誰も疑問を抱かない。女性ジャーナリストも、怒りをエネルギーにして行動していたと思うけど、それは自分が女性として不利益を被っているからであって、被害者へ思いを寄せているというわけでもない(ように感じた)。女性ジャーナリストの行動は、気持ちを強く持っていなければ、成し遂げられなかったことだけど。


こんなことはあってはならない。こんなんじゃだめだ。でもきっとまた起きる。さまざまな差別や蔑視の根本は変わらない。あらゆる場所でそれは起こる。そしてきっとまた起きるとわたしは思ってしまう、そのこと自体の暗闇。もしもたったひとつ、この映画で希望があるとするならば、それはアリ・アッバシがこの映画を作ったことだ




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・・・と書いたけど、いくつかの場面が珍妙で可笑しくて、時折挿入される〝緩〟の付け方もさすがでした。アリ・アッバシも、アタシがいくら寝不足でいっても大丈夫な監督


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女性が主な働き手として生産されているというペルシア絨毯。その絨毯のうえで行われること。その絨毯にくるむということ。ジャケ写と本篇との連なり
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