撮影当時まだ占領下にあった渋谷や新宿、銀座を彷徨する森雅之。ドキュメンタリーのようなゲリラ撮影のような、高度経済成長以前の活気あるほんものの都市に紛れ込む、森雅之の飴玉のような目。背景を横切る陸橋上の電車。
森雅之と甲斐甲斐しい弟が住む下宿はセットなのか実在の建物なのか、外階段から上がると中が丸見えの二方ガラス窓の一間、書生机がそばに置かれた腰窓には腰掛けられる小上がりがついていて、窓の隣には小さな洗面台と簡単な調理道具がある。
三千里薬局の看板とハチ公ですぐわかる渋谷。それ以外はほとんどわからない。洋パンといわれた女性たちの代筆屋をする宇野重吉の店があるすずらん横丁はもしかしてと思ったらやはり恋文横丁のことだった。この映画をきっかけに恋文横丁になったらしい。今はもうない。
これらのロケーションがこの作品の大きな魅力でもあると思う。
それと久我美子の撮られ方が尋常でなく美しく凄まじい。事故後目覚める久我美子の正面アップは峻厳ですらある。
田中絹代監督デビュー作としてスタッフは強力布陣で固められていて、この作品における森雅之が旧友の宇野重吉や弟(道三重三という間延びした江川宇礼雄のような役者)に矢鱈と守られているようすはなんとなく田中絹代本人を彷彿とさせる。久我美子と再会してからの森雅之は戦後身を落とさざるを得なかった女性の存在を一方的に責める、これまで五万回くらいみてきたパターンで死ぬほどウジウジしておりまさに森雅之。彼をド正論でしばく宇野重吉。なによりもつらいのが、洋パンをしているらしい三人の女性と久我美子が偶々再会するシーン。男性にも女性にも差別され距離を置かれる彼女たちは、最後まで久我美子を責めることはない。泣いた。
汝らのうち罪を犯したことのない者だけが石を投げよ、という言葉をひく宇野重吉によって、この作品もまた戦争の重い影であったことが示される。