高校生のころ原作読んで深夜のテレビ放送にかかってた『金閣寺』を雷蔵出てるやつかと思って観たら篠田三郎が主人公だしやたら観念的で気持ち悪いし放送禁止用語ぽいところで無音になるし(今思えば放送禁止用語は2分に1回くらい出てくるだろうけど)雷蔵出てないしパチモンかと途中で観るのやめた(失礼極まりない。知識無かったもので)記憶が強烈に残ってる。明らかに間違えてた。その後『炎上』は観たと思うのだけど記憶はほぼ無い。剃髪の鴈治郎は覚えてるけどそれは『雁の寺』かもしれない。だから初見かもしれない。
最初から最後まで市川雷蔵は巧いなあと見惚れていた。序盤のまだ少年期の面影がある表情なんかも実年齢に関わらず違和感無い。雷蔵のアップでは必ず見開かれた瞳の光が捉えられてる。宮川一夫はこれが初のシネマスコープだったそうだけど市川崑なのでコントラスト強くて特に暗闇の割合がとても多く、その暗闇も潰れてなくて奥行きがあるのはさすがだなと思った。防空壕の入口で揉み合う雷蔵と北林谷栄のシーンとか。こないだ観た某映画の暗闇が丸っきり何も見えない潰れた黒だったので尚更思う。照明の設計もすごいんだろうな。雷蔵の逆光シルエットから回想に入るいかにも技巧的なシーンよりも、会話の切り返しやアップの後にぽんと入る御堂の中に端座する鴈治郎と雷蔵のロングショットなどにはっとする。あと砂浜を練り歩く葬列のシーンとか。
あとはとにかく市川雷蔵と二代目中村鴈治郎と仲代達也、三人ともに寂しさが溢れていてとてもよかった。特に雷蔵においては異常性より寂しさ。おそらく鴈治郎にも仲代にも雷蔵への想いがそれぞれありつつ双方とも捻れたかたちでしか表出できない。仲代の強烈な生への執着と承認欲求、強欲狡猾な老師にもなり切れない鴈治郎の究道と綯い交ぜになる稚児寵愛にも似た感情、それぞれ寂しい。
三島由紀夫の原作とも違うけど三島的なものがふんだんに嫌味なく表されているように感じられた。