かんげ

窓辺にてのかんげのレビュー・感想・評価

窓辺にて(2022年製作の映画)
3.9
【静かな修羅場、静かな笑い、全員肯定】

フリーライターの茂巳は、編集者の妻・紗衣が担当している若手作家と浮気していることを知りながら、怒りも悲しみも湧かなかったことがショックで、何も言えないでいた。彼は、ある文学賞の授賞式取材で女子高生作家・留亜に気に入られる。彼女の作品の中の人物に興味を持ち、モデルになった人物にあわせてもらうが…という物語。

窓とは、屋内と屋外を隔てる壁において、内と外をつなぐ接点。玄関と違って、人が出入りするわけではなく、光や風を取り入れたり、様子を見えるようにするもの。たぶん、屋内と屋外というのは、自分と他者のことでしょうね。そして、「窓辺」ですから、他者に一番近い自分の一部分のことなのでしょう。

2時間20分を超える長尺。音楽も少なく、大きなアクションがあるわけでもありません。ひたすら、会話劇だけで、観客をひきつけるところは、さすが今泉監督です。とても静かなお笑いシーン、修羅場シーンが続きます。

茂巳は「妻に浮気されても怒りなどの感情が出てこない」ことにショックを受けて、周りの人間もそんな彼を「ありえない」ように扱っています。でも、私は「そういうこともあるよな」と思うのです。もっと言えば「自分もそうなるかもしれない」と共感さえしてしまいました。

私も、映画の感想で「普通に考えると、そんな言動はとらないはず」といったことを書いてしまったりします。自戒を込めて言うと「普通ってなんだよ」ってことです。人が、ある事象にどう反応しようが、その人にとっては、それが唯一の事実なのです。それを否定しても仕方がありません。ある人にとっての正解が、ほかの人にとっても正解とは限りません。

グラスの水を通した窓辺の光が揺れるように、人の心も揺れたり歪んだり、1つの形に定まることはありません。人の心が揺らぐのだから、人と人との組み合わせであるカップルの関係性も、当然揺らぎます。

パフェがパーフェクトではないように、人は完璧ではありません。人が完璧ではないから、人と人との組み合わせであるカップルや夫婦も、当然完璧ではありません。

だからこそ、相手のことが好きで大切に思っていることに間違いはないのだけれど、怒ったり、訝しく思ったり、すれ違ったり、悩んだり、いろんなことが起きるのでしょう。

ありきたりな言葉で言ってしまうと「多様性の肯定」です。

例えば、「辞めること」は、ネガティブなことだと捉えられがちです。それを、本作では「手放すことで、新たなものを得る」とポジティブに表現されています。茂巳は、「手に入れては、手放していく」という、留亜の小説の主人公に興味を持ちましたが、茂巳自身も、昔の彼女を失ったことで「STANDARDS」という作品を書くことができました。そして、紗衣との夫婦生活を得て、小説を書くという行為を手放しました。小説のモデルの1人カワナベも、テレビ制作の仕事を手放して、今の生活を得ています。

それを演じるのが、「SMAP」「ジャニーズ」という、大きな看板でありバックボーンを手放した稲垣吾郎なのです。本人はいたって真剣なのに、なんだか可笑しみが滲み出てくる「ゴローちゃん」そのものです。当て書きされているようなもの。自分自身を演じているようなもの。逆に難しそう。

本作では、何度か「自分はどうしたいの?」という質問のセリフが出てきました。「すべき」「することになっている」「したほうがいい」ではなく、自分が「したい」という思いを真ん中に置こうということでしょう。

物語としては、茂巳は1つの結論を出していますが、それはあまり大きなことではありません。いや、大きなことなのですが、彼がしたいようにしたのだから、それでいいのです。私としては、関心は描かれていないこと「彼がまた小説を書くのか」というところです。「書くかもしれない」と受け取りました。

茂巳は「妻の浮気を知って何も感情が湧かなかった」のではなく、何かしらの感情は湧いているのだと思います。でも、それが何なのか自分でも分からない。だから、それを知りたて行動しているように見えました。そして、それは彼が作家であることと無関係ではないと思うのです。彼に必要な小説は、彼が書くしかないのではないでしょうか。

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