かんげ

アフター・ヤンのかんげのレビュー・感想・評価

アフター・ヤン(2021年製作の映画)
3.7
【「無」は無いのではなく、「無」の状態が有るということ】

中国茶葉の専門店を営んでいるジェイクと妻のカイラの養女ミカは、「テクノ」と呼ばれている子守りアンドロイドのヤンを本当の兄のように慕っている。しかし、ある日、彼が突然動かなくなってしまう。修理できないか奔走するジェイクは、彼の体内にあったメモリーの中に、見知らぬ若い女性の映像があることを見つけて…という物語。

メモリーの中にあった若い女性は誰なのか? ヤンとはどういう関係なのか?というところで、物語が動いていきますので、一応ミステリーの要素はあるのですが、淡々と静かに展開していきます。

ジェイクの家のインテリアが、東洋と北欧をミックスしたような、やたらとお洒落なもので、さらに画面のすみずみまで美意識を浸透させたような絵づくりがなされています。ある意味、緊張感を感じます。静かなセリフ、アンビエントな音楽、そして絵の緊張感に耐えられず、何度か睡魔が襲ってきました。

ただ物語は、静謐だけではなく、ちょっとしたスパイスも効いています。

「ヤンにはスパイウェアが仕込まれているかも?」というくだりは、現在の中国製品に対する疑念をベースにしたものでしょう。また、修理の可能性を探るジェイクに、「故障したヤンを下取りに出して、リサイクルすれば、割引で新品が買える」なんて話は、テクノが完全に商品として扱われていることを強く印象づけます。最後にジェイクとカイラはある選択をしますが、これにはヤンが蒐集していた蝶の標本の姿が重ねられていますよね。また、夫婦2人とも仕事を持ち、養女を育てているということで、リベラルな考えを持っていると思われるジェイクですが、一方で「クローンを嫌っている」と指摘されるシーンもありました。そして、「ヤンは人間になりたがっていたか」というジェイクの問いに対する「いかにも人間らしい思い上がり」という答えが刺さります。

同じセリフを反復するようなシーンが何度かあったところも少し混乱させられました。明確には、その意味が示されていません。これは、ヤンのメモリーによって、ジェイクの記憶が呼び起こされ、その2つが微妙に重なっているといった意味なのでしょうか?

結構、考えることを求められ、ただ、美しいだけの映画ではなさそうです。

「無がなければ、有も存在しない」というヤンのセリフがありますが、それが、この映画全体のテーマの1つのようにも思えます。

ヤンが動かなくなったことで、家族にとって彼がどういう存在であったかを知ることになるというのは、まさにそれです。

絵づくりも、大きく余白をとるようなカットが多用されています。

そして、意識的に「見せない演出」がなされています。

例えば、冒頭の印象的なファミリー・ダンス・バトルのシーンですが、彼らが踊っている絵だけで、ゲーム画面は出てきません。どういうゲーム機なのかもわかりません。ゲーム機かどうかすらもわかりません。

同じように、彼らが使っている自動運転車(らしきもの)も、どういう車両なのかは映し出されません。どういうシステムで動いているのかも分かりません。

電話もそうですね。呼び出し音や話している様子は映し出されるのですが、デバイスは出てきません。

ヤンのメモリーを見るためのサングラス型のVRゴーグルぐらいですかね、ハッキリと出てくるのは。

見せないことで、「現在、存在しないもの」を表現しているのだと思います。

ヤンのメモリーも、すべてが記憶されているわけではなく、1日に数秒だけ。記録されるものと記録されないものの違いは何なのだろう?と考えてしまいます。ヤンは残す記録を選択しているのだろうか? 他のテクノにはこの機能はないのだろうか? 「無い」ことで、いろいろ考えてしまいます。

ヤンの前の持ち主との話で、テクノが誰に対しても同じように機能するわけではなく、人との相性のようなものがあるということが示唆されます(商品としてそれでいいのか?という気はしますが)。

ヤンはアンドロイドなので、プログラミングにしたがって生きているはずです。でも、すべてのアンドロイドが同じ条件で同じ言動をアウトプットするかどうかは分かりません。その際に参照しているのが、そのメモリーだったりするのでしょうか。

自分が経験したものがすべて記憶として残っているわけではない。そして、過去の経験をもとに今を判断する。それは、人間も同じですよね。結局、人を人として形づくっているものは何なのかという、根源的なテーマにたどり着くのでした。

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