スカポンタンバイク

カラオケ行こ!のスカポンタンバイクのレビュー・感想・評価

カラオケ行こ!(2024年製作の映画)
3.8
まず、面白かったです。
これだけは確かで、普通におすすめな映画です。
とにかく役者さんがみんな良くて、特に主役の2人が本当に観てて楽しい。綾野剛はすっかりヤクザもんが板についており、会話中の微妙な(信用ならない)感情の機微が本当に上手く演じられてるなぁと「凄え」ってなった。そして、岡聡実を演じる齋藤潤も、キャラクターとしての存在感がとにかく出ていて、それでいて絶妙に中学生な感じがあって、大人が高校生やってるみたいなコスプレ感が全然ないのが大変良かった。なんといってもクライマックスの歌唱シーンが素晴らしく、一生懸命な心はちゃんと観客に伝わるというメッセージを見事に演技で表現しきった素晴らしい名演だった。
また、コメディ方面も大変風通しの良い感じが個人的には好みだった。「カサブランカ」を見て、愛は与えるものと学んだ聡美くんがその日の夕食で垣間見た父母のスローアクションに「これか!!」という表情を浮かべるというシーンは凄い笑った。ただ、この風通しの良さっていうのは良し悪しあって、それは後で言及します。
という感じで、軽い気持ちで見る映画としては、凄い楽しかったし、こういうのが定期的に観れたら楽しいかもなぁっていう映画でしたね。



ここからは原作未読の映画本編観ただけの人間の戯言として聞き流して下さい。
(ネタバレ含みます)



この映画、もっと良くできたでしょ。
それこそ今年1番の傑作邦画になり得たかもしれない。
決定的にこの映画は足りないものがあると思った。
それは総じて言えば「聡美くんの学園青春ドラマ」だ。これが決定的に足りない!これさえあれば、私は両手を上げて大絶賛だった。


◯その1:聡美くんと合唱部の関係性
予告でも分かる通り、聡美くんは合唱部のソプラノ担当である。そして現在、声変わりにより以前のような綺麗なソプラノが出ないという設定がされている。
しかし、この映画では聡美くんにとって、これがどの程度切実な悩みなのかが分からない。
理由は2つある。
1つ目の理由は「聡美くんがほとんど合唱部の練習に参加していない」ためだ。冒頭のコンクールの後、合唱部は合唱祭に向けて練習を始めていくわけだが、その合唱部の中で聡美くんがどういう部員で(部長である事は示される)、どういうモチベーションで合唱に取り組んでいるのか、部員たちとの人間関係がどうなのか、が練習に参加していないから全然描かれないのだ。和田くん以外の他の部員は、ほとんどコメディリリーフレベルの役割でしかない。
また、このコメディ要素の最大の被害者は和田くんで、彼はドラマを観てる限りでは唯一合唱に真剣に取り組んでいる部員だ。ただ、それ以外の部員が暇つぶしレベルのテンションのため、そういう馬鹿真面目な奴はからかわれて受け流されてしまう運命にある。それ自体は普通の事だし、まぁそんな合唱部が全国行けるわけはないよね。w
ただ、問題はドラマ上、「和田くんは聡美くんにとってどういう存在なのか?」という事だ。聡美くんは自分の歌声の変化を気にするようなタイプなわけだから、思春期がどうこう以上に合唱に真剣なキャラクターなはずなのだ。であれば、聡美くんにとって和田くんというのは「かつてソプラノが綺麗に出ていた頃の自分」であり、「優れたソプラノ歌手としての後輩時代」だろう。そんな彼の先輩としてあり続ける事ができないから、彼は和田くんの横で歌えないんじゃないだろうか?そんな悩みを当然和田くんに打ち明けられるわけもないから、合唱部に行くことができないんじゃないだろうか?
そういう機微が描かれるシーンが全然ない!
だから、最後も変に拗れた状態で合唱祭が始まるし、その間の和解が全くない状態で卒業式になっちゃうから、和田くんの「写真一緒に撮ってくれませんか?」は流石に無理があるだろ!ってなってしまう。上映時間が短いのは良いけど、足りないよ!

◯その2:聡美くんの歌唱とイマジナリーフレンドの関係性
2つ目の理由は「聡美くんがソロで歌う事が、ラストの紅まで一回もない」ためだ。これは最後のインパクトのためにそうしたという考えがあるのかなぁとは思う。
まぁそれはそれでも良いと思うのだが、彼がアカペラでもなんでも、声が上手く出ないと悩むシーンを入れる事はできただろう。
これに関しては「どういうシーンがほしい!」というのが具体的にあって、「聡美くんがソプラノが一番きつい部分を1人で歌って、それを録音して、聴いてみると一番高い所で声が荒れてて落ち込む」というシーンがほしいのだ。
なぜかというと、この映画には狂人とその仲間たちの歌唱に聡美くんがボロカス言うシーンが出てくるのだが、そこでの聡美くんの最後のアドバイスで「自分が歌ってる声を録音して、それを聴いて、どこがダメなのかを何度も反復して練習していけば、今よりは良くなります」みたいな事をオロオロと言うのだ。これは実際はおそらく、ヤクザに囲まれて怖いのと、そのヤクザに言い過ぎたというのが理由でオロオロしてるのだと思う。が、前述したシーンを入れておけば、聡美くんは「歌唱の講師としてヤクザたちに適切な練習法を教えていながらも、自分はそれをしてさえも、かつてのように綺麗なソプラノを歌えないんだ!」という苦悩の文脈がオロオロさに付与され、もう泣かずにはいられないシーンになってたと思う。
勿論これは、観客を泣かせるためだけに必要と言ってるわけではない。このアドバイスが重要なのは、聡美くんは、この苦悩を和田くんや合唱部には打ち明けられないけれど、全く関係のないヤクザたちには打ち明けられるという事だからだ。映画部の栗山くんが最後の方で「(ヤクザは)本当はいなかったのかもしれないよ」というセリフを言うのだが、要はこの映画においてヤクザは、ある意味で聡美くんのイマジナリーフレンド的存在なのだ。特に狂児は、歌唱という要素において「最もなりたくない自分」であり、「自分にとって最も大切な事を教えてくれるメンター」としての存在なのだ。だからこそ、聡美くんが紅を歌い、自分の悩みに何かしら折り合いをつけた後は、卒業まで一度も会うことはないのだ。聡美くんの悩みは解消されたのだから。
まぁ、つまり。こういう深みに繋がる要素がないという事が、本当に惜しいと思わされてしまうわけです。

◯その3:狂児にとっての聡美くんの存在
ここまで聡美くん主観での物語上の希薄さを記述してきたが、これは狂児にも言える。まぁ、狂児に関しては前述したイマジナリーフレンドとしての役割として割り切っても良いとは思う。ただ、せっかくバディものとして楽しい映画なので、そこについても書いていきたい。
狂児は、組の地獄のカラオケ大会でワースト1にならないために、偶々コンクールで見つけた聡美くんを捕まえたわけだが、要は狂児の物語上聡美くんの存在はどういう役割を果たすのか、という要素が欲しかった。例えば、聡美くんは狂児の意思を継承し「粗くても一生懸命歌う」事で自分の苦悩と折り合いをつけたわけだから、狂児は逆に聡美くんの意思を継承し、合唱部的に「聡美くんに渡された課題曲を華麗に歌う」事で自分の優れた特徴を習得するといったドラマを入れたら、「歌唱」というお題に2つの回答は両立するんだという、より深い掘り下げになったりするんじゃないかなぁと思う。ただ、ここまでやると流石に上映時間厳しいかな...。


最後に、念押しで言っておきたいです。
私はこの映画はかなり楽しみましたよ。
ただ、もっと良くなる要素がありすぎて、惜しいという気持ちが溢れる映画でもあったなぁと思いました。皆さま、是非劇場でご覧ください。