スカポンタンバイク

瞳をとじてのスカポンタンバイクのレビュー・感想・評価

瞳をとじて(2023年製作の映画)
5.0
本当に素晴らしかった。

どう良かったのかをちゃんと書き起こせるのかが、本当に自信が無い。

端的に言えば、「ビクトル・エリセって本当に映画が好きなんだなぁ」というのがしみじみ感じられたのが良かったのだ。ここで言う「映画が好き」というのは、マーティン・スコセッシ監督のようなシネフィル的な知識としての映画好きという事ではなく、「映画が持っている魔法」(、というと子供っぽいか)、尤もらしく言えば「表現が観客に与える体験的影響」は永遠だと信じているという事だ。
宣伝でも言われているように、本作はビクトル・エリセ監督の31年ぶりの新作である。本作は、フィルム撮影された劇中映画「悲しみの王」と、その監督であり主人公のミゲルが旧友と再開するまでのデジタル撮影されたドラマパートで構成されている。大半はデジタル撮影で送られる本作において、「悲しみの王」は現代においては遺産・遺物として存在している。登場するキャラクターに表現されるように、その映画はある人には思い出、ある人には完全に忘れ去られたものになっている。
主人公ミゲルは映画監督時代の思い出を貸し倉庫に保管している。そして、貸し倉庫の中から列車が駅に到着するパラパラ漫画が出てくる。これは正に「映画の父」と言われるリュミエール兄弟の「ラ・シオタ駅への列車の到着」とストレートに考えてもよいとも思ったが、ビクトル・エリセが列車という文脈で言えば、このパラパラ漫画は「ミツバチのささやき」だろう。
つまりは、本作はビクトル・エリセ監督自身の映画人生を振り返る文脈が根幹にあるのだ。そして、エリセ監督が映画を撮らなくなり、すっかり現代において忘れ去られた彼が、「この現代において、自分の映画は、そもそも映画は、人々に魔法をかけるに足りえるのか?」という問いに対する挑戦なのだと思った。だからこそ、本作はその問いを観客に投げかける形で終わる。瞳を閉じた彼は、ある意味私たち「観客」である。その答えを応えるのは、私たち観客に委ねられた。

筆者は応えたいと思う。素晴らしい魔法にかけてもらいました。彼が瞳を閉じてからのエンドロール、本当に涙が止まらなかった。


※おまけ
本作が良過ぎて、その直後に上映を控えた「ミツバチのささやき」も久々に連続鑑賞。そこで、アナ・トレントは次のような台詞を言って映画は終わる。

「精霊は友達になればいつでも会える。
目をとじて、
精霊に呼びかけるの。
私はアナよ。」

アナにとっての「フランケンシュタイン」のように、私にとってビクトル・エリセ監督の映画は目を閉じて会える精霊になりました。