スカポンタンバイク

ボーはおそれているのスカポンタンバイクのレビュー・感想・評価

ボーはおそれている(2023年製作の映画)
3.6
面白く観ました。
ただ、両手を上げて褒められるかというと、言いたい事はあるなぁと。

先に良かった所を挙げると、ボーの恐怖心と罪悪感から起こる過剰な不幸描写というのは大変滑稽だった。一人称タイプの映画なので、ホラー感覚もあるのだが、どちらかというと観察日記みたいな俯瞰した所もあって笑えもするのだ。
また、書き割り世界に入ってからのアニメーション世界は、「オオカミの家」が大変良かった筆者としては、表現の自由度が加速度的に上がって、「流石、クリストバル・レオンとホアキン・コシーニャ監督タッグだぜ」ともうニッコニコだった。
端的には個々のエピソード、個々の描写としては面白くて、それをボーっと3時間眺めてる感じは楽しかったという感じ。

というわけで、ここから色々思った事を徒然なるままに。

まず最初に思ったのは、「これは全何話かのドラマでやった方が良かったんじゃないか?」という事。どういう事かは公式のネタバレページを観て頂ければ分かると思います。筆者が本作から受けた印象は、個々のエピソードとしては面白いのだが、全体として観た時の1本の映画としてはほとんど体を成していないという事だった(この「体を成す」という事についても後述する。)。だったら、1話40分くらいでボー君が理不尽に酷い目に遭って、毎週苦笑いみたいなドラマ形式の方が作品として効果的だったと感じた。

次に、これはアリ・アスター監督作品故の問題で、「決定論」と「円環構造」の要素が今作では足かせになっていると思った。アリ・アスター監督はいつかのインタビューで、「自分にとっての映画作りは自己セラピーのようなもので、映画を作る事は自分の治療なんだ」といった事を応えている。例えば、「ヘレディタリー/継承」では、トニーコレットがドールハウスアーティストで、彼女は自身の家庭を模したドールハウスを作成している。これは正に先のインタビューをまんま出したようなキャラクターであり、実際「これから起こる不幸は運命によって決定されている」という文脈のもの進行する映画だった。こういう映画をアリアスターは作る事で、不幸が起こる運命性を理解し安心しているわけだ。
この構造は、ホラーというジャンルを型にする事も相まって「ヘレディタリー/継承」が一番上手くいっていたと思う。「ミッドサマー」では冒頭の絵画が正にそれ。
では、前2作と比べて「ボーはおそれている」の何が違うのかを考えると、決定論的な描写または説明を主人公ボーが理解した後に覆るという展開が何段にも渡って起こるという点だと思う。要は、本作に関しては「簡単に理解できる運命論ではない」と「言いた気」なのだ。
ここで「言いた気」となってしまうのは、チャンネル78があるためだ。結局あれがあるために、実はスタートからクライマックスまで決まっているロジックから、本作は逃れられていない。「自身が理解した事が覆り続けることの不安」という一人称映画の体をとりながら、観客はチャンネル78で決定論を理解して安心してしまうため、映画としてはどっちつかずになってしまっている。
アリ・アスターが本当を作る上で影響を受けた作品として、コーエン兄弟の「シリアスマン」を挙げているが、あれは正に主人公が酷い目に遭い続けて、その理由は遠大な運命の中で決まったことなんだから人間に分かりようがないと突き放してくる不条理の塊のような映画だった。結局、遠大な運命の全貌なんてものは分かりようがないため、極論「理由はない」という事なのだ。
チャンネル78がなければ、そう成りえる事は十分可能だった。それを結局アリ・アスターは、全ては母が仕組んだ決定論として構成してしまった事で、本作は「理解できる範囲の話」に仕上がってしまったと思う。
ただ、監督自身のセラピーとして考えるなら、真実が覆り続けたとしても、その遠大な運命を自身の「理解下」に置いて安心したかったのかなとも思う。そのため、監督の作家性故に「シリアスマン」は生まれようがなかったのだなぁと、観てしみじみ感じた。