シュンゴ

バルド、偽りの記録と一握りの真実のシュンゴのレビュー・感想・評価

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劇場でこの映画をみていて、それぞれのシーンで自分の周囲に質感のある空気がたちあらわれる感覚があった。


「場」の空気を映像の中に丸ごと取り込むっていうのは、きっと映画製作においてはとても難しいことだと思う。
当たり前だけど、現実というものは、カメラで撮影され劇場でスクリーンに投影されることで、否応なく全てフィクションとして固定された性格をあてがわれるから。


例えば体感型の映画、没入感のある映画と殊更にうたわれるものは往々にして開き直って人工的であって、そこでは現実の空気は完全に取り払われている(ア〇ターとか)。それは別に悪いこととかではなくて、エンタメの神髄っていうのはむしろそこの割り切りを追求することにあるんだろうけど。


ただ、A・G・イニャリトゥは愚直に難題にこだわり続けていた。
近作、バードマンでは全編ワンカットで編集による文法を排し、レヴェナントでは自然光での撮影にこだわり、照明による恣意性をしりぞけていた。(それでいてドキュメンタリーとは異なる強いドラマを核においていた)

そしてとうとう今回、映像と音響が持つ本来的な体感性を究め、主体と客体あるいは現世と冥土の境界線上にある一人の男の現実としての「場」をまるっとつかまえることで、逆に、アバ〇ーよりも精神的に遠く光年を隔てた夢幻世界へ観客を(少なくとも俺を)誘うことに成功した。


テーマとしてはフェリーニやベルイマンのあれやこれやの焼き直しとも言えてしまうだろうし、ブラックコメディとしての現代批評が肝としてあるのかもしれないけど、
個人的には、現代技術の粋を集めてつくりだされたこの白昼夢の魅力は、確実に体感として無二のものであるということにあって、作品そのものの題材は全く異なれど、存在としてはもはやSFじみたものになっていると思う。


そんな体験としてのアトラクティブと、イニャリトゥ節の身につまされる切実さが入り混じって、経験として大きな満足を覚えた映画鑑賞でございました。