ヨーク

ジョーカー:フォリ・ア・ドゥのヨークのネタバレレビュー・内容・結末

3.8

このレビューはネタバレを含みます

なにやらアメリカ本国はもとより日本でもいまいちウケが悪くて興行的にも評論家連中の評判的にもダメダメらしい『ジョーカー:フォリ・ア・ドゥ』なのですが、俺的には普通に面白い映画でしたね。まぁ前作『ジョーカー』と比べてそれ以上に面白かったかというと両作品のスコアを見てもらえば一目瞭然なように前作の方が面白かったのだが、それでもこの『ジョーカー:フォリ・ア・ドゥ』が駄作だったとかは全く思わない。とはいえ、もちろん大絶賛というほど面白かったかというとそうでもないので実際評価が難しい作品だなぁ、とは思うんですけどね。
というわけで結構面白かったよという感じだったのだが、その感想の本格的な内容に入る前に前作『ジョーカー』の感想文を貼っておこう。本作の感想文に入る前にできれば読んでおいてほしい。

https://filmarks.com/movies/80819/reviews/74044934

さて読んだね? 俺の『フォリ・ア・ドゥ』の感想はこれがベースになるので目を通してほしいのだが、まぁでもこんな無駄にクソ長い感想文読めるかよ! という人のために重要な部分を抜粋しておこう。
ここから引用“俺の個人的な感想としてはアーサーという男は本作においてはカリスマ的なヴィランとかでは全くなくて徹頭徹尾ただのピエロだと思うんですよ。(中略)ジョーカーというヴィランの像を社会が作り上げて一種のミームのような実体のないものとして共有することによって集団はいくらでも理性を失って凶暴になれるということをありありと見せてくれる映画でした。”というのが俺のかいつまんだ『ジョーカー』の感想である。
ぶっちゃけ『フォリ・ア・ドゥ』は前作『ジョーカー』がそういう映画だったんだよということを説明する解答編のような映画だったと思いますね。つまり俺が『ジョーカー』の感想文で書いたことは大当たり、といういやー俺映画を観る目あるなーっていう自慢です。でもそれは率直に言って蛇足というか、前作にあった余白の部分を塗り潰してしまったという野暮ちんな続編ものとも思えるので最高に面白かったかというと、そこまででもないな…という気持ちもあります。正直、そりゃ前作ほどウケねぇよ…という気持ちもある。そこは個人的にも本作に対してかなり二律背反な部分ですね。
んで、肝心のお話はというと前作『ジョーカー』でジョーカーことアーサー君が犯した連続殺人の裁判を巡って行われるあれやこれがが本作のあらすじである。あれやこれやと言っても大枠はレディ・ガガ演じるハーレイ・クインとの恋愛的な関係性を描いたものになる。それをミュージカルと法廷劇とを行ったり来たりしながら描くのが本作の基本的な構成である。
そこにあるのは前作と同じく「人生はショーである」というテーマであろう。アメリカはショービズの本場で、ミュージカル映画は言うに及ばず法廷での諍いだってショーにしてしまう国である。そしてジョーカーというヴィランはご存知の通りに道化として劇場型犯罪を披露することが大得意な存在である。そこは前作から一貫している。一貫しているが、今回より明確に「人生はショーである、ただしほとんどの人間のショーはすべっている」ということを前に出しているように俺には思えた。前作でのアーサーは笑いの才能ゼロで何をやってもウケなかったわけだが、それは何もアーサーだけのことではない。ほとんどの人の人生は“すべっているショー”なのだということである。
そうだなぁ、それは例えば松本人志の数々のコント(トカゲのおっさんとか)や働くおっさん劇場という番組のノリに近いものがあって、このネタはウケる! と本人が思って披露してもそれがだだすべりして大衆からは失笑を買うのだが、そこには妙なおかしみや哀愁があって刺さる人にはとことん刺さるという人生の縮図なのだと思う。そしてそれがアーサーと同じ“すべっているショー”としての人生しかないド底辺の人間にとっては哄笑と熱狂を同時に託すことができる最高の神輿になるのである。だからゴッサムのド底辺共はアーサーを担いでワッショイワッショイするわけだ。
だがそのことが示すのはジョーカーという存在は単なる空虚な願望を写し出す空っぽな器でしかないということだ。だから本作のオチであるジョーカーなんていねぇんだよ、っていうのは前作の結論と同じで単なる繰り返しなわけですね。もちろん、個としてのジョーカーは存在しないけど人々の心の中に、それこそ誰の中にもジョーカーはいる、とも言えるのだがそれも繰り返しになるが前作で語られたことの補強に過ぎなくて本作に於ける新しい展開とかはなかったように思う。
だからまぁ、上記したように蛇足な映画ではあるんですよね。でも実際に現実の社会で映画に触発されてジョーカーを真似たバカが犯罪を犯したこともあったじゃないですか。俺が利用する私鉄で起こった事件だからよく覚えてるけどさ『ジョーカー』という映画の本質をよく分からずに作中のゴッサムのアホな市民と同じノリでジョーカーは我々ド底辺を象徴していて、彼のように社会に牙を剥くべきだ、と勘違いしてバカなことをした奴はいたわけですよ。それを踏まえれば真面目な映画だなって思うよ。ジョーカーなんて大衆が生み出した虚像でしかないんだ、ということを懇切丁寧に続編で解説してくれたわけですからね。
それと似たような現実と虚構の混同みたいなところで言うなら、本作を観ながら俺が思い出したのは宅間守と市橋達也でしたね。どちらも凶悪な犯罪者だが宅間守は獄中結婚したし市橋達也もファンクラブのようなものができていたと思う。まぁ本作のスタッフが日本の犯罪者を参考にしたかどうかは何とも言えないが、アメリカでもテッド・バンディのようなある意味でのスター的な犯罪者はいるわけだ。もちろん宅間も市橋もテッド・バンディもただの犯罪者なのだが、彼らにある種の幻想を抱くことへの危うさや警告というのは本作にもあったと思う。それはまんまガガ演じるハーレイ・クインの役どころとして描かれていたであろう。
だからね、繰り返しになるけど人生はショーだがほとんどの人の人生は“すべっているショー”なのだ、ということなんですよ。そしてそれは、すべっていても胸を張って生きろ、ということですよ。ウケなければいけないという強迫観念に苛まれたらアーサーのようになってしまうぞ、という非常にモラリスティックな含蓄のある映画が本作だったのではないかと思う。そう思うとイマイチな出来のミュージカルシーンも盛り上がりに欠ける法廷劇のシーンも、わざと精彩を欠いた演出で描いたのかなという気がするし、それなら結構凄いなとも思うのだが、でもそれはそれとして映画的にあんまり面白くなかったのも事実だから、上記したように評価が難しいなぁ、って思っちゃう作品なんですよね。
まぁ、前作ほどじゃないにしても俺は結構好きでしたよ。面白いかつまんないかで言えば余裕で面白かった。ちなみに1番笑ったのはエンドロールの最後にデカデカとDCのロゴが出るところ。あそこは声出して笑っちゃった。DC的にはエンドロールの後のポストクレジットで最凶ヴィランであるジョーカーとして覚醒したアーサーが人気のない裏通りでウェイン夫妻を待ち受ける…みたいな終わり方してほしかったんだろうなぁ…と思うと何とも笑い泣きしてしまいますね。
でもそれを含めてもすべったまま終わったホアキン・ジョーカーのシリーズは偉いんじゃないかなとと思いますね。面白かったです。
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