肉浪費Xアカウント復旧無理ぽ

劇場版 PSYCHO-PASS サイコパス PROVIDENCEの肉浪費Xアカウント復旧無理ぽのレビュー・感想・評価

3.6
サイコパス3の主人公バディのファミリーがなぜああなったか?
常守朱がなぜ公安を辞め、旧「一係」がほぼ解体となったのか?
鎖国が解けたAI統治日本でやっと真実を知る朱がシビュラと対峙する日が・・・きっと来る
そんな覚悟のS2(&劇場版)→S3の間を繋ぐ主役交代の起源、やっと解禁!?

シリーズ10周年の記念作であり、新旧主人公バディたちの「選択」と踏み出しの「覚悟」が明らかになる一大事件を綴った映画になりますが…果たしてこの手法は"最善"なのかな?
と映画の完成度とは別にやっぱり感じてしまうものに仕上がっていますね…

というか、『サイコパス』シリーズ前劇場版のリアルタイムまで見て、『サイコパス3』になってからずっと離れていたんですけどねw
今回の記念すべき劇場版を機にやっと重い腰を上げ3を前・中・後直前まで新規に見ての挑戦となりました。
先週は『ワイルド・スピード』マラソン、今週は『サイコパス(3〜)』一気見と疲れましたよ(笑)
結局面白いといえば面白いんですけどね😉

でもお生憎、今作を見るに至っては直前に予習する感覚のタイムラインで見るぐらいが"丁度いい"と感じたんですよ。
ちょっとこの話、シリーズリアルタイム全追いの色相濁り…違う違う純s…狂信者のファンの方たちには2020から明かされないで"不鮮明"なままって酷で"生殺し状態"じゃないですか?って…

おそらく、この映画公開がこんな数年ズレ込んだのも「コロナ禍」が大きく関係してるでしょうし、そのおかげでクオリティも数段アップしているような部分もあり、なにより今年になって確実にIT社会が色めき立っている"文脈(文章)的思考AI"「ChatGPT」の出現により、(んなバカなw)と笑い半分で見ていた"近未来SF(という名の非現実)"がにわかに現実味、距離がぐっと近くなってるように感じる現実社会の"タイミング"が"相乗効果を加味"してるように感じてる人は少なくないはず・・・

と、好意的見方をしようともこの新旧主人公混合の映画版と、『サイコパス3』の在り方の是非ですよw 違った言い方だと、"『サイコパス』シリーズそのものの計画性(NASA)"です。
常守&狡噛ペア、常守が何をしたのか?を明らかにするのはいくらでも『核心/革新』に迫る台風の目のキャラなのでいいとしても(といっても10年だぜ?遅過ぎでは…?)、『サイコパス3』の主役灼&炯ペアの『動機/起源』を"不透明"にしたままTVシーズンを終わらせ→「答えは劇場で」そんな有料/無料の汚い商法がどうのなんて言いたい訳ではなく、この映画を観なきゃ"『サイコパス3』(アニメ3期〜)が「完成」しないということなんですよね。
➕この話がなきゃ、ずっと『サイコパス3』中、主人公慎導灼と同じようにずっと暗中模索、モヤッたまま話を追っていくことになるし、「新一係」のメンバーはそこそこ感情移入できるようになっていますが、肝心の主役たちに"没入、感情移入しきれない"気持ちにシリーズを追ってきたファンの方たちはならなかったのでしょうか?
そうなるとTVシリーズ単体の満足度が必然と下がってくるし、なんだかシリーズ全体の"計画"が上手いではなく"コスい"アニメという印象に限定の劇場アニメも含め個人的に染まっちゃいましたw

ここからが本作についての本番ですが、シリーズ総括の全貌や文句を語ってしまって、いつものように前置き長くなりサーセンw
映画自体は面白かったんですよ?でも新旧バディの節目を描くことで決定的で大トピックではありますが、両方とも"中途半端"感は否めないというか…肝心の常守&狡噛のキャラが立ち切っていない気にもさせられたんです…
結局描いていたのは『シビュラ』という"システムの変異"であって、開国、外務省、入民(難民)という"世界観をワイドに拡張"したことでより"コアなSFに変異"した気にもなりました。好みではあるんですが、より"シビュラ対(非VS)人"の人々の反応にバリエーションを持たせる事で"思想色"も強くなったのが「サイコパス3」からの所感です。

『サイコパス』シリーズから一番の離れた理由となったのが、個人的には"キャラクターデザイン"。せっかくの原案の天野明先生デザインから離れたI.G臭が強くなり返って魅力がなくなったと断言できます。
そんなTVアニメ版よりもデザインが前日譚なのに多少マシになり、不安定な作画も"当たり前"ですが良くなって安心して見れる映画ってのはかなり大きいです。
そして、「メカデザイン」がTV版と比べ大差と言えるほどスタイリッシュで見惚れるほどカッコいいものになってるのは驚きでした。加えて、背景描写、家具・丁度もかなり手が混んでいるCGでしたが、これもそのテラテラと光る"異質感"が返ってリアリティから遠くなる"安っぽさ"にも感じてしまいました…

それで一番好きじゃないのが「アクション描写」。視点(カメラワーク)もシーンの強調(カット)、BGM・SEも含め全然スタイリッシュに見えません…
ゲーム・CG表現で近年「fps(フレームレート)」が重要視されていますが、今作だとほとんど遠景固定撮影風でのアクション展開が多いのか、妙に格闘アクションが緩慢に見え、"監視カメラの試合映像"を見てる感覚でスリルや没入を不思議なくらい感じなかったんですよね…たぶん"リアルに見える映像作り、対人戦"を意図したのだろうけど、"メリハリを利かす"事が見てる方の体感に直結するのではないかと…
そしてめちゃくちゃ力を注いだだろう、空中通信艇を襲撃する"空中戦"も光線がビュンビュンと飛び交い、当たったら即死の「スリルだろうぅ?」と言いたげな緊迫シーンですが、こちらは返って速すぎるのかカメラワークのせいか"画面がごちゃごちゃ"していて"空間把握能力を試される"気分で見ていて疲れてしまうんですよ…

蓋を開けば文句ばかり垂れているようで申し訳ないですが、10周年で記念すべき最終作てことは全くなく、『AI(シビュラ)統治』に対する人々の"受容"という姿勢も描かれ始めた「サイコパス3」からの変化(変異)が現実とリンクしてしまう"脅威と肌感"がより興味深くなった『サイコパス』
狂わずにそのギノの色気を直視できるのかーーー(つまりヤベー)