社会のダストダス

あの頃輝いていたけれどの社会のダストダスのレビュー・感想・評価

あの頃輝いていたけれど(2022年製作の映画)
3.3
Netflixオリジナル作品。ニコラス・ホルトの顔を悪人成分濃くしたような印象のエド・スクライン主演。私が観たことのある彼の作品はほとんどが人の命を奪うお仕事の役どころな気がする。

かつて超有名なアイドルグループ、ステレオ・ドリームのメンバーだったヴィニーDことヴィンス(エド・スクライン)。グループを脱退して20年が経った今では生活に困窮する中、ソロアーティストとしてのセカンドチャンスを掴もうと躍起になっている。ストリートでパフォーマンスをしていたある時、自身の演奏に合わせて見事なドラムのリズムを刻む自閉症の少年スティーヴィー(レオ・ロング)が現れ、彼の才能に目をつける。

イメージとしてはワン・ダイレクションのハリー・スタイルズが活動休止後に鳴かず飛ばずになり、20年後には慈善バザーの出し物のクッキーで飢えをしのぐレベルに落ちぶれるというところか。

ヴィンスとは逆にグループ解散後にソロで大成した元メンバー、オースティンとの会話では絶好調だとか、ファンのために小さなハコでプライベートなライブをやるなどと明らかな見栄を張る気概が残っているのが逞しい。しかし、オースティンの引退公演のサポートアクト(要は前座だが)を打診された時は、考えるフリして即座に飛び乗ったりと不安定なプライドの持ち主でもある。

今回のエド・スクラインは普通に良い人でした。今まで善人の印象が無かったおかげかギャップ効果かもしれない。スティーヴィーと組んで音楽活動をしていくのは打算もあったはずだし、自閉症の彼に説得を粘りステージに立たせたりもするが、ヴィンスの言動には嫌味が無く、きっとこのあと映画的には大変なことになるんだろうなーと分かっていても気分が重くならずに観ることが出来た。

スティーヴィー役のレオ・ロングも良き。ヴィンスと交流を深めていくなかで、絶妙にダサい部分だけを継承していくのが微笑ましい。

エド・スクラインのまあまあ上手くて時々オーバーな歌い方が役柄としてのリアリティの演出になっていると思った、確かにソロでは売れる気がしない。とは言え、今でもそれなりに名を知られているはずなのにデモテープを持ち込んだ先々でことごとく塩対応を受けるのは切ない。何とも世知辛い業界、元メンバーのオースティンなんとかさんがその点では一番寛容だった、近況報告の際知らされた小さなライブにも一応お忍びで来てくれたし。

ヴィンスは全盛期の輝きを懐かしみ、オースティンの活躍に自分が失ったものを重ね、スティーヴィーの才能に可能性を見出す。ラストの彼の未来がどうなったのかは想像の余地に任せる感じになりそうだけど、一人の自分のファンのためのプライベートなライブで締めくくるベタでクサい演出は、ヴィンスは今度の選択を後悔していないことを感じさせる。この余韻をしばらく維持するためにも、エド・スクライン氏はしばらく悪党の役は自重してください。