やまもとしょういち

福田村事件のやまもとしょういちのレビュー・感想・評価

福田村事件(2023年製作の映画)
4.0
関東大震災の際に起こった朝鮮人の虐殺、および「福田村事件」という蛮行がいかにして起こったのかということが当時の人々の生活、思想や意識を丁寧に描き上げたうえで提示され、言葉を失う。何の罪もない、無抵抗の人間を虐殺する(当然、日本人だろうが朝鮮人だろうが関係はない)、という結末はわかっているのに、張り詰めた糸が切れかのように臨界点を超えた憎悪が何でもない人々を凶行に走らせる……その光景の恐ろしさ、リアリティに本当にただただ絶句する。

「不逞鮮人」(韓国併合後の日本政府に不満を持つ内地の朝鮮出身者)に怯える民衆が起こした集団ヒステリーの裏には、そもそも日本という国の帝国主義、権力よる大衆煽動、デマゴーグ、メディアの腐敗、現在よりもはっきりと目に見える形で社会に存在していた経済や教養などの「格差」があったことが描かれる。

在郷軍人会の人々を通じて描かれる自分とは違う者に対する恐れ、弱さ、そして「有害な男性性」……この凄惨な事件を引き越した構造は現代にも形を変えて、そのまま残っている。近代と前近代が入り混じる農村と、現代のネット空間で起こっていることはほぼ一緒だと思うし、最後、自らの犯した罪を責任転嫁する在郷軍人たちの卑怯さは現代の政治家とそのまま重なる。

少なくとも自分は福田村の人々を「無知で野蛮」という言葉では片付けられないし、この野蛮さは人の歴史が数千年と繰り返し続けたことであり、人間という本性の一側面でもあるとさえ思う。

「ワシらみたいなもんは、もっと弱いもんからゼニを取り上げんと生きていけんのじゃ。悲しいのう」

行商人のお頭が口にするこの言葉がグサリとくる。何百年も前から現代に至るまで日本社会に残存し、この物語に息づく差別の構造をそのまま言い表したセリフだろう。部落の被差別民の行商人たちは、自分たちよりも弱いものから搾取をし、貧しい農村の暮らしをする福田村の人々は朝鮮人を虐げることで溜飲を下げる。

その構造を生み出しているものこそ「お上」で、民衆を都合よく支配できるように、部落差別も朝鮮人差別も民衆の不満の捌け口のために生み出されたものであること……その残酷さ、一人ひとりの命を軽視するような、命の重みに違いがあることを前提にした人間社会の醜悪さにゾッとする。若者たちが戦場に送り出され、「お国のために」という大義名分のため命を散らしていくのは、「お上」の欺瞞だし、そうやって本作は戦争が正当化されていく背景をも捉えていると思う。

これがたった100年前に起こっていたことだとは到底信じがたいけれど、この社会が朝鮮半島の方々に対して犯した罪は消えないし、いま自分ができることがあるとしたら何か、ということをずっと考えさせられ続けている。