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aftersun/アフターサンのriikoのネタバレレビュー・内容・結末

aftersun/アフターサン(2022年製作の映画)
4.5

このレビューはネタバレを含みます

記憶は言語ではなく頭の中に映像として残る。
父との思い出を振り返ると、確かに言葉以外の瞬間的な記憶が多いことに気付いた。
本作でも、そして実感としても、親と子での関わりは言外のコミュニケーションにこそ色濃く残っていた。

ビデオには動的な鑑賞体験が残る。
カチャッカチャッと響く操作音がその撮影時の前後の体験までもを呼び覚ます。
撮った映像そのものではなく、反射して映った父の表情など撮影時の「記憶」が映し出されていた。

娘からのカラオケの誘いを断る父と、娘をダンスに誘う父。
「躁」「鬱」の陰影があらわになる瞬間が度々映し出され、娘から距離を取らされている背景が滲み出る。
大人になった娘は同性のパートナーと子を持ち暮らしていた。
あの父親はLGBTQだったのだろうか。
娘の記憶の物語の多くは言葉ではなく映像で示され、疑問は尽きない。でも、誰もがそうなのだ。

しかし最後に唐突に、そして明確に示される。
Under Pressureは絶望と希望のコントラストがMVでもしっかり表現されている。

「死に向かって生きていることに何の価値や意味があるのか?」

その答えは愛他ならない、頭ではそう理解しているのに、愛を享受している瞬間は信じられるのに、独りになった瞬間に死を思い出す。
このMVのように父親はビデオテープを巻き戻さなかったのだと思う、娘との記憶に向かって"逆再生"ができていれば、もう一度愛を思い出すことができたのかもしれない。

このUnder Pressureを聴いたとき、
幾度も娘の身体に塗布されていたアフターサンのクリームとビデオテープの役割は同じなのだと感じた。
バカンス中の彼女の身体をケアしていたクリーム、
十数年後、あの絨毯の上に座り思い出を眺める彼女の心をケアしていたビデオテープ。
あの一本のテープこそがアフターサンだった。

エンドロール中、私にとってのアフターサンが頭に思い浮かんだ。
同時に、怒った父や笑っていた父の表情やその時の記憶が呼び起こされ嗚咽が止まらなくなった。
大人になってから父と旅行に行ってみたかった。
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