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aftersun/アフターサンのHARUのレビュー・感想・評価

aftersun/アフターサン(2022年製作の映画)
3.7
この映画を理解したいようで、理解したくないかも......
理解するには誰か大事な人を失わないといけない気がする......
(理解しないまま生きていきたいが、そうもいかないのだろうね)

子どもなら笑い飛ばせることも、父親は翌朝まで引きずり、1人で号泣したりする。子どものケラケラという笑い声はずっと頭に残り、大人の傷は比例して深く重く暗い。
その痛みを子どもが知るのは子どもが大人になってから。

......いやいや待ってくれ。後から理解する、ってそんな無意味なことあるか??
無意味じゃないよって言われたって、あの時寄り添えなかったならもう無意味だ。ごめん、自分に置き換えたらそう思ってしまう。
その人の年に追いついた時、あの頃自分が思っていたよりもその人が無敵ではなかったことに気づくとか、自分の言った言葉の意味を数年越しに理解するとか、そういうことは映画に限らず現実でも度々あって、毎度頭を抱えてしまう。
どうやって過ぎた過去を労わればいいか到底わからない。
そんな相互不理解、寂しくて嫌になるが、同時に現実なので、やはり嫌になる。
みんなそれを承知で生きてるんか?
たくましいな。

つまるところ、この映画の切り分ける「子ども」と「大人」の分類で言えば、わたしはまだ「子ども」なのだと思う。
身近な大事な人を失ったことがないし、大きな挫折も味わっていない。環境にも人にも金銭的にも恵まれ、学びたいことを学び、適切に褒められ認められ、観たい映画を観て、読みたい本を読んで、良い環境で仕事をして、プライベートも充実している。(ありがとう家族と友人と職場)
だからこの映画はまだわからない。
きっとわたしは"この映画を理解する人たち"に、頼って守られて愛されて無自覚に生きているのだと思う。たぶん無意識にそういう人を言葉や態度で悲しませたことがあると思う。
無いわけがない。
なんならもういくつか思い当たるもんな。
特に、父と母について。

10年後、20年後、と時間をあけて観たい。いやでもその時この映画がわかってしまうのも怖い。もう少したくましくない子どもとしてケラケラ笑っていたい。ある意味、怖くて涙が出たのかもしれない。
でも、いつかわかる日がきたら、★5をつける日がきたら、たくさんの人に感謝が言えるようになっているといい。
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