決意を持ち、彼は大人になり、
その鳥は一族の歌とともに彼の腕で佇む。
シーザーの物語が終わり、APESの世界が穏やかに広がった。 …はずだった。
1968年の「猿の惑星」で描かれる世界は、決してシーザーが思い描いたような世界にはなっていない。
あの古典的名作「猿の惑星」に繋げるまで、空白があるということか。
1968年の「猿の惑星」。
自分が生まれる前の作品で、最初はテレビで観たわけだが、まあ、ラストは衝撃だったわけで。
(父のネタバレを上手く回避した思い出)
その後の続編は、正直あまりおぼえてない。
そして、ティム・バートンのリブート(言われるほど酷くは無いと思うが…)を挟んで、前日譚として始まった、シーザーの物語。この三部作はとてもきれいにまとまっていた。
そして、飛び込んできたこの、前日譚のさらなる続編(ややこしい)。
シーザーが神格化され、野生化した人間がいる一方、人間の遺産の存在、文化の継続を示している。
ノアを軸として進められる物語はさらなる続きを示唆しており、これが「猿の惑星1968」に繋がるのだとすれば、描かれるのはシーザーの願いではなく、人間との決別か。
正直まだこの作品だけでは評価は難しいかもしれない。
「猿の惑星」は、当時の技術もあったわけだが、APEのビジュは、姿勢、服装、顔の作り、話し方等は、現在の人間に近い。
今後描かれるであろう新シリーズでそのあたりも寄せてきたら面白い。
半世紀以上も愛され続けてきた、「猿の惑星」が今後どうなるのかを見届けていきたい。
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