LalaーMukuーMerry

イヴの総てのLalaーMukuーMerryのレビュー・感想・評価

イヴの総て(1950年製作の映画)
4.2
これも面白かった。“世界”の仕組みを悟らせるかのようなラストのエピソード!(デジャブを感じたのは何故なんだろう?このラストは他の作品も真似している筈だ) 付き人から一気にトップ女優に駆け上がった女性の物語。ただの無名な人間が有名になり始める直前に、一体何があったのか、その頃の話が一番面白いし、普通の人にも参考になる。ただこのお話は参考にすべきかどうかはビミョーですが・・・
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見方によっては、トップの舞台女優マーゴ(=ベティ・デイヴィス)の付き人になったイブ(=アン・バクスター)が、野心を胸に、夢をつかむ努力をして、気を利かせ、気に入られ、チャンスを逃さずに一気にトップの座をつかみ取った成功物語。
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別の見方をすれば、人の好意をあざとく利用して罠に陥れ、女を武器にして人の弱みを握り、出世に利用しようとした、ずる賢い成り上がり者の物語。
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頂点に立つ者の裏にはこういう事は必ずあるもの。才能や努力だけでは、いいとこまでは行っても、トップまではなかなかたどり着けない。コネや運も大事な要素、時には汚いことも必要なのだ。周囲の誰にも気づかれず、狙いの人には有無を言わせない脅しも、ここぞという時には許される。歴史は不可逆な流れ、その流れを一度だけ引き寄せさえすればよい。あとは勝手に流れだし、それは誰にも止められないのだ。
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そういう潮の変わり目を、修羅場を知るトップは誰より敏感にわかる。だからマーゴも見苦しく逆らうことはしなかった。「自分たちも同じ様にして成り上がってきたじゃないか。イブもまた同じ道をたどっているだけだ。だからそのうち同じ様に踏み台にされる日が必ず来る。それがこの世界の法則なのだ・・・」と諦観した感じのラストには唸らされました。
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(これは想像ですが)権力・組織のトップに近い人ほど、イブの行動を否定しないのではなかろうか? トップに登りつめるためには多少の汚いことも仕方ない、それをやり切ることも勇気の一つ。モラルとしては汚いかもしれないが明確にルール違反でないことは悪でもない(必要悪と言う人もいるが)。人につけこまれるような隙を見せる人こそ脇が甘いのだ・・・
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(これも想像ですが)トップへの野心がなく、人並みにモラルのある人は、イブの裏の動きには眉をひそめるだろう。汚いことをするくらいなら、金も出世も要らない。
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トップに登りつめる人はごくわずか。ほとんどの人はそれ以外だから、おそらく後者の考えに近いのだろう。作品中ではイブの仕掛けに気づいても、それに乗らなかった人も描かれる。
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とはいえ、ほとんどの人はトップに立つことを夢見たことがある筈。だからトップの周囲では、トップにそれなりの敬意を払い、裏は知っていても騒ぎ立てることはしない。騒ぐより黙っていた方が“みんな”が得なのだ。
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こうして、トップの地位・権力を握った人の回りには危ういバランスが保たれる。昨今話題になっている日本のスポーツ界やハリウッドのパワハラは、こうしたバランスを温床として長い間続いてきたのだろう(もちろん最たるものは政治の世界だけど)。
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何がしてもよくて、何がしてはいけないことなのか? どこまで許されて、どこから許されないのか? 曖昧な所に線を引き、行動する・しないを決めるのは結局のところ自分しかない。線の引き方は人それぞれ。その引き方で人の人生は左右される。それはそうなんだけれど、個人の判断は社会の基準に左右されるもの、まずは社会の基準の中からダブルスタンダードが少しづつでも無くなっていくことを願っています。
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ちょっと脱線