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ゴジラ-1.0のsanbonのレビュー・感想・評価

ゴジラ-1.0(2023年製作の映画)
3.9
「山崎貴」の好きなものだけ詰め込んだ"ハッピーセット"映画。

山崎貴監督といえば、代表作である「ALWAYS 三丁目の夕日」にも「ゴジラ」を登場させるくらい"ゴジラ好き"で有名だが、そのキャリアは正直功罪入り混じる人物であるが故、期待と不安は半々という感じだったのだが、実際に観た感想も良い点と悪い点が半々という感じだった。

まず良かった点といえば、自身の集大成と呼んで差し支えない程の"得意分野の総動員"であった事だ。

山崎監督作品の体感半分くらいは「昭和」を舞台とした映画と「戦争」を題材とした映画に分類されるくらい、彼はこの2大要素が大好きであり、大好きという事はそれだけその分野において造詣が深いという事に自然となってくる。

その為、劇中に登場する艦隊や戦闘機のディティールは秀逸であり、異端な形状をした「震電」をはじめ重巡洋艦「高雄」や「雪風」「響」は戦後武装放棄をさせられ砲身などが撤去された姿で登場するが、そういった細かい時代考証も含めCGの作り込みが徹底されており、素晴らしいクオリティで制作されていたと感じた。

この点からも、"VFX屋"としての山崎貴の本気度はかなり伝わってくる。

また、今作は史実を上手く取り入れ時系列が再現されており、劇中にはビキニ諸島で21キロトン級原子爆弾を用いたエイブル実験とベーカー実験からなる「クロスロード作戦」が登場する。

これは、広島長崎に落とされた原爆に続く史上4回目と5回目の原爆実験の事なのだが、今作のゴジラはこれに被爆してしまった結果、15mだった体長は再生時の細胞レベルでのエラーの繰り返しにより50m超へと巨大化してしまう事となり、その苦痛を与えた人類に対し多大なる恨みを孕んだ、更なる混沌をもたらす存在へと進化するという設定となっていたりする。

そして、舞台となる1954年当時のアメリカは、ソビエト連邦との関係性が悪化していた事により、ゴジラに対する軍事行動にリソースを割けず、日本国に対処を丸投げするといった展開も、時代背景がしっかり脚本に落とし込まれていた事から、まさに昭和とミリタリーが好きな山崎貴だからこその着眼点になっていたと思う。

更には、実は山崎貴は今作を撮る前に既にゴジラ作品には携わっていた経歴がある。

それは「西武園ゆうえんち」内で乗る事が出来た「ゴジラ・ザ・ライド」の監修である。

ここで培われた経験は今作にも如何なく発揮されており、ゴジラの脅威を間近で感じられる臨場感を重視した画作りがふんだんにされていて、"恐怖を感じる"場面が多かったのが非常に印象深かった。

そして、主役であるゴジラの造形も、概念をぶち壊しまくった「シンゴジ」から回帰しオーソドックスを貫きつつも、しっかりと今まで"見た事がないゴジラ"を体現してくれており、個人的には非常に良かった。

特に、再生能力に特化したゴジラというのは、これまでのように純粋に硬いよりも、より絶望感が増しており本当に怖かったし、最早大喜利と化している「放射熱線」ギミックも、今回はエネルギー充填の如く尻尾の先から順番に背鰭が迫り上がってきてからの撃鉄を撃ちおろすような仕様は面白く、何より熱線よりもその後の爆風の破壊力にフォーカスした演出も目に見えて新鮮な要素となっていて、大喜利としては100点満点をあげたいと思った。

さて、ここまでは褒めちぎりパートとなっているが、ここからは悪かった点にも言及していかなくてはいけない、肝心要の脚本についてだ。

まず、今作は観る人によってはただ他作品を"寄せ集めた"だけにしか感じないくらいには、山崎貴の独自性としては弱めな印象を受ける内容をしている。

大枠は「初代ゴジラ」を完全になぞっているし、展開的には「GMK(ゴジラ・モスラ・キングギドラ大怪獣総攻撃)」のトレースだし、演出的には「ジュラシックパーク」や「ジョーズ」を彷彿とせざるを得ないし、なんなら「シン・ゴジラ」に寄せたような場面さえもある。

このように、したくなくても類似作を想起してしまうくらいには脚本面においてのオリジナリティには全体的に欠けている印象。

その上で、ゴジラが絡まないドラマパートはメロドラマ過ぎてクサイうえにくどいし、何より怠い。

ずっと「生きてちゃいけない」「生きてていい」の押し問答ばかりで飽きてくるし、吐かれるセリフがどこを取っても本当にドラマやアニメのように説明的で、戦後日本としての実感に水を差すようなクサさが拭えない。

そもそも、個人的にだが「神木隆之介」も「浜辺美波」も"重過ぎる役柄"にはハマらない役者だと思っているので、"プラトニックな擬似家族"という荒唐無稽な設定に対して、性的な臭いを感じさせない役目を担う要員としては正に適役の二人ではあるのだが、総合的にはミスキャストとすら感じた。

それに加えて、今作は歴代シリーズの中でもゴジラの登場時間はかなり短い部類に入る為、ハリウッド版よろしく今作でも"人間パートクソ"に片足を突っ込みつつあったのに対して、その尺が長い分冗長だと感じる時間が多くあったのは残念ながら悪印象。

ただし、一点主人公である「敷島浩一」のキャラ設定とゴジラの関係性が、意図したものなのかどうか、上手く過去シリーズの補完を行なっていた部分もあったのは実に面白い。

前述したが、今作はGMKゴジラをオマージュしたような展開がラストに登場するのだが、実はGMKゴジラとは数いるゴジラの中でも異端な存在であり、第二次大戦の戦没者の怨念が寄り集まり実体を成した姿という設定があるのだ。

この設定に、当時はなんで戦死した日本兵の魂が必死で守ってた筈の日本を襲うんだよとツッコミどころとなっていたのだが、今作は「サバイバーズ・ギルト」を患っている敷島の目線を介する事により、その矛盾を見事に解消しているのだ。

ちなみに、サバイバーズ・ギルトとは戦争や災害、事故の生存者が自分だけ生き残ってしまったことに罪悪感を覚えてしまうという症状であり、これにより敷島は自分の中の戦争を終えられずに苦しんでいる。

そこに、その一端を担う"仮想敵"としてのゴジラをぶつけ、ゴジラを討ち果たす事による苦しみからの解放という"敷島の主観性"が差し込まれる事で、戦死者の亡霊=ゴジラの方程式を成立させているとも読み取れる展開には唸るものがあった。

まあ、これは仮に今作のゴジラの設定が死者の亡霊であったとするならばという、あくまでも仮説でしかないのだが。

このように、良い面と悪い面が表裏一体ともなっている脚本には賛否が分かれるかと思うが、そもそもゴジラ自体そんな格式高いコンテンツでもなく、元々は「とっとこハム太郎」のバーターだったんだしという事を考えれば良い面の方が断然勝る訳で、何よりこの作品が成功する事そのものがゴジラの未来にとっては重要な訳なので、総合的にはちゃんと客を呼べる面白い映画を作ってくれて山崎貴さんありがとうという一言に尽きるのである。

最後に、ゴジラをあまり知らない方達の為に、今作の内容には"ある予備知識"を知ったうえで鑑賞しなければ、その"真の意味"を理解する事が出来ない場面があったので、情報を共有させてもらいたい。

では、そのある予備知識とはなにか。

それは「G細胞」についてである。

G細胞とは、読んで字の如くゴジラ固有の細胞の事であり、これによりゴジラは脅威的な再生能力、放射能をエネルギーとして吸収する能力を有しており、これをあらゆる専門分野に活かす事が出来れば、人類史において革命的な発展が見込めるとされているのだが、それが困難な理由が一つある。

それは、他の生物にG細胞が取り込まれると"その生物自身の細胞をG細胞が侵食"していってしまう点である。

余談ではあるが、これにより誕生した怪獣が「ビオランテ」(特殊な薔薇をG細胞が侵食)や「スペースゴジラ」(G細胞がブラックホールに吸収後ホワイトホールから排出された姿)である。(あとは「オルガ」やパチンコの「エヴァ初号機」など)

ようするに、G細胞を取り込んだ生物は超絶的な回復力を得る代償として、その身体をG細胞に侵食され、ゆくゆくはゴジラのような生物へと変容を遂げてしまうという事である。

この事実を知っているのといないのとでは、ラストシーンの感じ方に180度の違いが生じてくるはずなので、今作を鑑賞するにあたってこの知識は必須であると考える為、お節介とは思うがこれを備えたうえで十二分に楽しんでもらいたい。
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