かずぽん

怪物のかずぽんのネタバレレビュー・内容・結末

怪物(2023年製作の映画)
5.0

このレビューはネタバレを含みます

【得体の知れない不気味さ】

監督:是枝裕和(2023年・日本・126分)
脚本:阪本裕二  音楽:坂本龍一
原題:MONSTER

一気に観ました。
校長室でのやり取りは、観ていて苛立ちを覚えましたし、イジメ問題での学校側の対応は、実際にこういうものなのかも…と思えて溜息が出ました。

観終わってから分かることですが、一つの出来事を三つの視点から描いています。途中で最初に観たシーンに戻るので、一瞬戸惑いますが、この時が最初の視点の転換でした。

最初の視点は麦野早織(安藤サクラ)のもので、彼女は小学校5年生の息子・湊(黒川想矢)の様子がおかしいと感じます。片方だけのスニーカー、水筒から出て来た泥、床に散らかった湊の髪の毛。亡くなった父のことを「もう生まれ変わったかな…」と言ったり、「僕の脳は豚の脳なんだ」と言ったり。
イジメを心配した早織は、学校へ真相を確かめに行きます。
校長の伏見真木子を演じるのが田中裕子なので、私は期待してしまいました。生徒に寄り添い、親の不安を受け止め、きっと見事に解決してくれるのではないかと。しかし、伏見校長は、早織の言い分をただ聞いてメモを取るだけです。同席した教頭(角田晃広)、学年主任(黒田大輔)、湊が2年時の担任・神崎(森岡龍)も紋切型の説明と謝罪を繰り返すだけで、血の通った対応ではありません。早織の引きつった表情と「あなたたちは人間ですか?」という言葉に感情移入してしまいました。
納得のいかない早織は、それからも数回学校を訪れますが、担任の保利(永山瑛太)が現れてさえ何一つ進展はありません。保利先生の謝罪には心がこもっていない上、見ていて腹立たしくなってきます。

二つ目の視点は、担任の保利先生のもの。
赴任早々であることが分り、生徒たちへの声掛けや対応を見ていると、前のシーンで見た保利先生と同一人物なのだろうかと不思議に感じるほどの好感度でした。ひょっとして、まだ猫を被って本性を隠しているのか?とも思いました。恋人の広奈(高畑充希)も登場して、彼の悪趣味(本の誤字・誤植を見つけては出版社にクレームを入れるなど)が分るので、益々彼の本性に疑いを持ってしまいました。
それにしても、視点が変わるだけで、同じ事象の見え方がこうもちがってしまうのかと驚きました。そして、だんだん保利先生が気の毒になり、彼も得体の知れない恐怖に襲われただろうと想像しました。

三つめは湊の視点です。
これが真相編と言っていいのでしょうか。湊とその友達の星川依里(柊木陽太)に起きていたことが分ります。
「おまえの脳は豚の脳だ」と言った人物と、言われたのが本当は誰だったのかが分かります。(ただ、そう言った人物の真意を私は未だに理解できていません。)
一目瞭然なのは、星川依里がクラス内でイジメの対象になっていて、湊はそんな依里を助けたいと思っていることです。しかし、表立って味方をすると自分も対象にされてしまうので、クラスメートの前では知らんぷりを決めています。依里にも「学校では話しかけないで」と釘を刺してあります。
湊と依里が遊ぶのは鉄道跡地に置き去りになっている廃車両の中でした。その秘密基地へ行くには草むらや水路を通って行きます。
死後の生まれ変わりや埋葬、宇宙のビッグクランチのことなど依里は物知りで、湊は影響を受けています。廃車両の中での二人の遊び「怪物だーれだ?」は、とても意味深に感じました。それぞれ選んだカードを頭上に掲げ(自身のカードは見えないので)相手の特徴のヒントを言い合って、自分のカードが何かを当てるのです。これって、自分で自分のことは分らない。相手が見たように自分を理解するということでしょうか。
劇中、三者三様の視点があるように、この映画にも観客の数だけ視点があると思い、観終わった後、誰かと答え合わせがしたくなりました。幾通りもの解釈が出来そうです。

特にラストは、「生きてるの?」「死んでしまったの?」と判断が分れるシーンです。
ご丁寧なことに、場面選択のチャプター12のタイトルは「新しい世界の光」です。この“新しい”というのに惑わされてしまいますが、私は死後の世界だとは思いません。再出発、あるいは生まれ変わったつもりで…と考えたいと思います。
嵐が去った後、湊と依里は横倒しになった車両の窓から、水路の中に下ります。
水路はトンネルのようになっていて、出口の向こうの先には、今は使われていない線路が錆びて続いています。
嵐の前、ここには行き止まりのフェンスがありましたが、嵐の後では無くなっていました。
これは障害になるものが無くなったと考えるのは間違っているでしょうか。この場合の障害というのは特定のあることを指しているのではなく、
私は「自由」と同じような意味で使っています。つまり可能性とか未来も含めて。
劇中、依里に対するクラスの男子たちの反応がずっと気になっていたのですが、この年齢に特有の興味や関心、
兆しのようなものが原因かなと思いました。
依里が女の子のように可愛いので、クラスの男子たちも無意識に気になっているのかも知れないと。
ラスト近くの車両内での湊と依里の態度からそのように思いました。
また、作文用紙の行の最初の文字を、依里がすべて鏡文字で書いたこともヒントになりました。
「むぎのみなとほしかわより」という鏡文字に続いて「す」の鏡文字が映し出されましたが、その後に続くのは多分「き」でしょう。
依里が引っ越すと聞いて、廃車両の中で依里を抱きしめた湊。
この後の湊の戸惑いの表情と「僕も時々そうなるよ」と言った依里の言葉。
2回目の視聴の際、音声ガイド付きで観てみると「なるほど、そういう事だったのか」と合点がいったのですが、
まだまだ恋愛感情と呼ぶほどのものでもなく、ジェンダーに結びつけるのも早計な気がします。
自分の理解を超えたものをひとは「怪物」と感じるのかも知れません。

【個人的な解釈と雑感】
・湊が髪を切った理由…依里の髪型に似せた。
・湊が早織の車から飛び降りた理由…依里が自転車に乗っているのが見えたから?
・湊が着火ライターを持っていたのは、依里が持っていたのを取り上げたから。ビルの放火は依里が?
・湊と二人きりの時の伏見校長の態度。これが本来の伏見の姿なのか?
「誰かにしか手に入らないものは、しあわせとは言わない。誰にでも手に入るものをしあわせと言うの。」私にはこの校長の言葉のタイミングが唐突に思われた。
・保利先生と同僚の女性教師。噂を鵜呑みにするだけではなく、情報として流す。軽率な印象。(保利先生のガールズバー通い。校長の孫の事故についての真相についての噂)
・依里の父親(中村獅童)は、何故、依里を虐待したのか?←私の疑問点
・校長室で、何にでも「はい」としか言わない校長に、早織が「はいじゃなくて!」と声を荒げると「ええ」と答える校長。「はいをいいえに言い換えろと言ってるんじゃなくて」と早織。この件(くだり)、笑った。
・何だかんだ言っても、作品中で一番の怪物は学校ではなかったか?真相の追求よりも事勿れ主義。認めて謝罪して有耶無耶にして終わらせる。さもなくば、担任に非を認めさせ厄介払いする。臭いものに蓋をしても、原因はずっと残り続けるのに。
・あの写真たては一体・・・亡くなった孫の写真を、保護者(早織)からよく見えるようにこちらに向けて置くとは。呆れてしまった。
かずぽん

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