ねまる

怪物のねまるのネタバレレビュー・内容・結末

怪物(2023年製作の映画)
4.2

このレビューはネタバレを含みます

だれかの無邪気さが、だれかを怪物にする。

問題が起きた時に、誰かが普通と違う怪物だとすることで、自分やそれを含む社会を守りたいという感情からくる無意識の無邪気さ。

母は、息子を守っているようで、そのために学校、堀先生を怪物だとしている。
家族を作るまではママ頑張る、普通の家族でいいの、みたいなことを本当に無邪気に言うから、湊は嘘をつくしかなかったんだよね。
社会の作る普通が、それを伝える身近な言葉が、そうでないひとを怪物にしていく。

人はいかに見たいようにしかモノを見ないか。
視点が堀先生になることによって明示される。
ガールズバー通いの暴力教師は、新しく赴任してきた、少し過干渉な教師。
子供たちの無邪気さによって、事実は歪み、存在していなかった真実(?)が出来上がっていく。
他の教師や学校の無邪気な姿勢によって。

この無邪気とやらの正体は、コミュニケーションで解決出来るはずなのに、分断された社会では、話し合うことより、卒なくやり過ごすことの方が大事だから。

台風の日、横転したバスの中に、湊と依里がいるんじゃないかと、母と先生が窓ガラスの泥を手で掻き分けるシーンが印象的。少し理解出来たように見えても、まだまだ泥の中。それは理解ではなく、無理に大雨の降る"普通"の社会に連れ戻したがっているようにも思えるんだ。

「生まれ変わったのかな」
「何も変わってないよ」
「良かった」
晴れ渡る空の下、彼等らしく伸び伸びと駆け回るその姿に、坂本龍一の優しい音楽が響く、美しいラストだった。
ねまる

ねまる