ヨーク

きみの色のヨークのレビュー・感想・評価

きみの色(2024年製作の映画)
4.1
山田尚子、吉田玲子、牛尾憲輔の組み合わせで外す訳はないと思っていたがちゃんと面白かったですね。山田尚子に至っては高校生を描くということにもはや貫禄すら感じるほどであった。やや持て余した感のある部分もあったが、それも欠点と言うほどでもなく本作『きみの色』は中々に面白い映画でしたね。
お話はそういうの前にやりましたよね? 感がありありとあるのだが、一言で言えば高校生がバンド組んで青春するお話である。かつて『けいおん!』で似たようなことを3クールもやったじゃないですかー! と言いたくなるし、正直第一報を見たときは、何でまたバンドもの? と思ったのを覚えている。まぁ『けいおん!』とは違って男女混交のバンドだし主人公のトツ子は如何にも物語の主人公っぽい特徴として人の「色」が見えるといういわゆる共感覚的な特殊能力じみたものを持っているのだが、別にそれが作中で巻き起こる事件を解決したり問題を乗り越えるために使われたりするわけではないんですよね。ていうかそもそも大きな事件とか越えるべきハードルというようなものは描かれない。それはこの『きみの色』という作品の大きな特徴であり、それこそがテーマである作品なのだと俺は思う。
基本的には大きな起伏のない日常を描いた映画なのである。それはまぁ山田尚子の十八番的なところもあって『けいおん!』も『たまこまーけっと』も、劇場版の両作品もそうであった。多分、小津とか木下とか好きでそれを現代風に描きたいんだろうな~と思わせる作風である。ちなみに本作ではかなりモロに『エコール』を元ネタにしていると思われ、また岩井俊二的なエッセンスも多分に入っていた。その両者に共通するのはバレエ・寄宿学校・無垢な少女への憧憬といったものである。多分だが山田尚子は『ヴァージン・スーサイズ』とか『ピクニック at ハンギング・ロック』も好きだろうな。
でもまぁその辺までは比較的いつもの山田尚子作品だなーって感じだったんですよね。またバンドものかよっていうのも拍車をかけて、吹奏楽や聾唖というテーマのものも含めれば音に関した作品ばっか撮ってんなこの人、と思ってしまうところなのだが、本作ではあぁ~~、と思ってしまった要素もあってそれが何かというとキリスト教要素なのである。上記したように本作の舞台はミッション系の寄宿学校(全寮制ではなく自宅から通ってる生徒もいるっぽい?)が舞台でキリスト教的モチーフやテーマがかなり核にある映画なのである。
それが本作に対してどのような意味を持っているのかは後述するとして、山田尚子といえば青春ものと音楽ものという風に上で書いたが、彼女のフィルモグラフィを見ると明らかに一本だけ異質な作品があることに気付くだろう。正直俺も山田尚子がその作品を撮ると聞いたときは、嘘でしょ? と思ったものだ。勿体ぶっても仕方ないのでそのタイトルを書くが『平家物語』である。ちなみに山田尚子が京都アニメーションからサイエンスSARUに移って一本目の監督作である。おそらくだが『平家物語』はその内容から同スタジオの『犬王』と併せての企画モノ的な経緯で制作が決まったのではないだろうかと妄想してしまうが、よりによって山田尚子が監督なのか~、と当時は思ったものである。だって平家物語なんだから当たり前なんだけど第1話から人が人を殺して家屋を燃やす描写とかあるわけだからね。多分だけど山田尚子が(監督作として)作中で殺人描写をしたのは初めてだったのだろうか。建物を燃やしたのも多分初めてだろう。それはまぁ、ズシーンと重くきましたよ。ちなみにその山田尚子版の『平家物語』は架空の人物である主人公が最後に琵琶法師となり平氏・源氏問わずに戦で亡くなった人たちの魂の安らかな平安を願いながら語り継いでいこう、という締めになるのである。山田尚子自身、何でもかんでも例の事件に結びつけられることに対してうんざりする気持ちはあろうと思うけど、作品の受け手側としては全くの無関係には見えないなっていうのもあるんですよ。ていうか創作物を作る人間としてあれほどの経験から影響を受けていないわけはないであろう。
んで、話を『きみの色』の感想に戻すと、本作ではキリスト教要素があったわけですよ。それも聖歌という山田尚子の人生かけてのモチーフの一つであろう音楽要素をも含めたものとして。それはまぁ、グッときてしまうわな。しかも上記したように本作は大きな事件が巻き起こるような物語ではなく、むしろ何も起こらないということへの喜びや救いを描くようなお話なんですよ。一応主要登場人物にはそれぞれにお悩みの種があって、バレエに挫折して以来自分が透明な存在に思えるとか、保護者に無断で学校を辞めてしまってそれを打ち明けることができないとか、医者の道を目指しながらも親に黙ってバンド活動をしているとか、それぞれが十分に映画を引っ張っていくだけのドラマになりえそうな問題を抱えているんですよ。でもその問題を中心とした事件とかは起こらないんですよね。学校とか親といった要素は青春ものの作品では主人公と対立するのが定番だが本作では対立しそうな空気を醸し出しながらも最終的には何も起こらない。正直拍子抜けするほどにドラマとしては盛り上がらないのである。
でもそれをこそやりたかったし、何も起こらない方がいいんだよ、っていうことを本作は言いたかったのかなと思うと、まぁ、ちょっと泣けてしまうわけですね。ま、そりゃそうだよな…って。いや、映画なんだから何か起こった方が面白いだろ! というのは当然あるのだが、でもまぁこういう作品もあってもいいのではないだろうかと思うし、他ならぬ山田尚子がそういう映画を撮ったというのなら何も言うことはないですよ。ちなみにそういう風に事件が(特に酷いことは)何も起こらないという大筋の物語の中でキリスト教要素を大きく取り上げ、作中非常に印象的な形で“god almighty”というワードを入れてくるというのは俺的にはロバート・ブラウニングの『春の朝』にある“神、そらに知ろしめす。 すべて世は事も無し”からの引用に思えてしまう。『赤毛のアン』のラストでは“神は天にいまし”だったかな。とにかく、神の元にさえあれば何が起ころうとそれは御業なので大丈夫であるという、盲目的とも言えるがどこまでも楽天的でどんなに世界が酷くても何とかなるよという前向きさがそこにはあるのである。そしてその裏には作中で表には出てこないがちゃんと死の匂いがあるのである。
え、この映画に死を思わせる部分なんてあったっけ? と思われるかもしれないが、主人公のトツ子が憧れたバレエの演目『ジゼル』は不幸が重なり死んでしまった少女が悪霊になってしまいそうなところで踏みとどまって昇天するお話なのである。トツ子がかつての夢である『ジゼル』に別れを告げて新しく色を纏った自分になるというのはある意味ではかつて夢を共有した者の死を受け入れ、埋葬し、追悼する、ということだと俺は思った。もう大丈夫だから、という思いがあったのかどうかは分からないし、基本的には俺の妄想だけど、まぁそういう風に思ってしまう映画でしたね。
まぁその他の要素は最初に書いたように青春音楽ものとしてはもはや貫禄さえ感じるほどの安定感ある描写で特に何の文句もない。敢えて言えばバンドものならメンバーを全員男か女かで統一した方がある種の人たちにはウケそうなのに男女混交にしたことと、3ピースバンドの内の一人がテルミン使いというのは意外性バリバリで面白かったですね。個人的にはリズム隊が好きなんでベースかドラムはいてほしかったが、メンバー増えると尺の問題とかも出てくるしまぁ仕方ないか…。
あと作画面について、全体的に作画は素晴らしかったけど瞳と眉と前髪の生え際あたりの描き方が非常に特徴的で良かったですね。その辺りは正直エロいな、と思いました。
あとはそうだな~、これは多分他にも同じこと言ってる人が多そうなんで書かないでおこうかと思ったが、でもやっぱ思わず書いちゃうほどに、は? と思ったこととしてエンディングのミスチルは余りにも合っていないでしょう。いや別に曲が悪いとかじゃなくて急にミスチルが出てくる意味が分からなさすぎて、いや劇中バンドの曲でいいじゃん、としか思えなかった。あれは雰囲気ぶち壊しですね~。エンドロールに川村元気の名前があったから多分彼の仕業(俺の妄想です)なんじゃないかな~。ホントに余計な仕事しかしねぇよな~川村元気(俺の妄想です)、と思いましたね。でも個人的には川村元気が関わってる映画で初めてグッときたような気がする。まぁそこは多分山田尚子が凄いのだろうが…。
ちなみにエンドロールといえば、俺の記憶が確かならば金正恩という名前があったと思う。いや、単なる同姓同名なんだろうがその文字列が視界に入ったときはちょっと前のめりになってしまいましたね。いやそれはどうでもいい、本当にどうでもいい。
感想としてまとめると、何か事件とか人間関係の衝突もなく奇妙なほどにするっと終わってしまうという、ある意味では拍子抜けで登場人物のドラマを持て余した感のある映画だったけど、そこにこそ意味のある映画だったなぁ、という感じでしたね。次に山田尚子が何を撮るのか俄然気になる作品でした。また高校生だったらちょっと笑うけど。
面白かったです。
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