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君たちはどう生きるかのsanbonのレビュー・感想・評価

君たちはどう生きるか(2023年製作の映画)
3.5
はやおの挑戦状。

本作の公開を記念して、TVでは「もののけ姫」の再放送がされていたが、改めて観返してみると「ジブリ」の作画は何気ないシーンでさえも、こんなにも観ていて楽しいものだったのかと再認識させられる。

そして、それを体感させてくれる大きな要因は、実は"モブの存在"にある。

メインで映し出されている人物の端にいる、場面の"賑やかし"でしかない一人ひとりが、ちゃんとその人だけに与えられたしぐさや言葉を発しているところに目が釘付けにされ、それが目を惹く引力となっている。

「宮崎駿」は、そういう本来"注目されなくていいキャラクター"にまで、正に命を吹き込むようにアニメというものを作っているのだなと、実際放送自体はほんのちらっとしか観てはいなかったのだが、そのほんの短い時間ですらも感動を与えるに足る凄みを感じられるところに、彼の作家としての矜持が今も息づいていると感じた。

では、本題である今作についてなのだが、誰もが口を揃えて言うようにまっっっっじで一つも意味が分からなかった。

それは、宮崎駿がご高齢という事も相まって、もしや正常な思考が出来なくなっており、ついに耄碌してしまったのではと不安になるほどに、一切の要領を得ない作品であったと言わざるを得ないほどにだ。

不親切すぎる程に説明が無く、脈絡も筋が通っておらず、展開にも一切の整合性が無く、理不尽に謎だけが羅列されていき、人物描写ですら突拍子もない内容に、正直鑑賞した直後は今目の前で起きている事がずっと信じられない感覚だった。

ましてや「庵野秀明」や「押井守」をこき下ろしていた宮崎駿が、彼らの撮りそうな作品を世に送り出した現実に頭を抱えた。

しかも、宮崎駿自身も初号試写の折に「自分も訳わかんない」とのたまっていたらしい。

そうなってくると、いよいよこの訳の分からなさには何かしらの思惑、意図を感じてくる。

そして、そこに来ての異例とも言える宣伝一切なしでの公開。

更には「君たちはどう生きるか」というタイトルだ。

ちょっと待て…もしかしてパヤオあんた、俺たちを実験台にしているのか???

絶妙に意味深にした"実は無意味"な映像を見せられた時、それを受け取った"君たちはどういう答えを導き出す"のかな?とでも言いたいかのような今作。

そのように解釈すれば、宣伝一切なしやパンフレットの後日販売なども、本編以外からの外部情報を完全にシャットアウトするのが目的であり、"実際は"考察する余地のない"デタラメ"なものを補足情報が得られない状態で発信するのが真意ならば、この不可解なプロモーションにも合点がいくのだ。

それこそ、本編を観た人なら分かるだろうが、メインビジュアルとして唯一公開されていた「アオサギ」でさえ、実際はメインビジュアルから受けるイメージとはかけ離れた存在である。

しかも、そのメインビジュアルを見た宮崎駿はそれを"褒めていた"というから、これは何かの意思を感じる。

そして、実際にそれを受け取った人達の反応の中には、あたかも理解しているかのような"知ったかぶり"をしている"考察モドキ"がものの見事に乱立している。

素人のレビュアーの事を指しているのではない、プロのお金を貰って記事を書く批評家の中に、そういった輩がゴロゴロと炙り出されているのだ。

その中身を見てみると、過去作のオマージュが~とか、宮崎駿はこういう人だから~とか、これまでの作品との比較をしてみたり、宮崎駿の人となりや過去の発言を引用してみたりで、作品自体を語る事を避けてばかりの分かったような気でいる内容で、そのほとんどが映画本編に対する本質には一切触れらていないのだ。

つまり、記事を書くにあたっての手掛かりを過去のアーカイブからしか得られておらず、肝心の本編に関してはそれらで話をすり替えて、内容を理解するのを放棄しているという事になるのだから、これぞ正にものの見事にボロが出た決定的瞬間だろう。

その上で、この作品にはしっかりとした教養が無いと十分に理解する事は難しいなどと、そういう奴に限って他者に対し謎にマウントをとったりしている。

ちなみに、本当に今作が教養ありきで作られたものだとするならば、参考資料がないと物語が読み解けないという事であり、その"度を越している"今作は"未完成"である事を声高に謳っているだけなのだから、はっきり言ってそんなもんクソくらえだ。

このように、意味わからん映画をわざと作り上げて、それをさも高尚な作品であるかのようにでっちあげ、それを理解している自分を崇高な人間のようにふるまう人々を、宮崎駿は今作を通してあざ笑っているのではないかとさえ感じる。

それで、当の本人がそんな考察を読んで「へー、この映画ってそういう意味だったんだー」とか思っていたらめちゃくちゃ笑える。

もし仮に、そんな"ちゃんとした映画の見方"を知らない人たちへの啓蒙活動がこの映画の成したい事だとするのならば、それはめちゃくちゃ面白いしその心意気はめちゃくちゃ支持したい。

なにより、御大最後の一仕事が批評家気取りの"大掃除"とは実に痛快ではないか。

しかもそんな大博打、やろうとして出来る作家は宮崎駿をおいて他にはいないだろう。

内容も分からないような作品を、本当に分からないまま公開してしまえるのは、それだけ宮崎駿の名前にブランド力があるからだ。

そして、はちゃめちゃな物語を容認されるのも宮崎駿だからだ。

なにより、はちゃめちゃにした事によって、その内容をなんとか理解しようとリピートする人も一定数現れるだろうからロングランも見込めるかもしれないし、夏休みと時期を被せてきた分だけ初速も見込める。(これをひと夏の思い出として家族連れ、もしくは付き合いたてのカップルに観に行かせるのは、個人的にはある種のテロだと思っているが。)

そう考えると、「スラムダンク」に便乗したと見せかけて、実は相当に周到な計画の基で公開された映画のようにすら感じる。

要するに、今作は作品に対する素直な感想を蔑ろにして、理解できない事は恥ずかしい事だと錯覚して、周りがそれを囃し立てて、結局は本当の気持ちを押し殺して迎合してしまう、そんな日本人の"悪癖"に一石を投じる為に作られた映画だとするならば感慨深さを得られるとは思わないだろうか。

実は、マジで考察すれば意味は理解出来るようになっていたとしても、なんかめんどいしそっちの方がロマンがあるから僕はそう信じることにする。

このように、"そこに本当の気持ちがあるなら"これは観た人が観たいように観ていい作品であるのだから、意味わかんないと言っていいし、つまらなかったと声を大にしても構わない作品なのだと思いたい。

そして、僕自身ちゃんと素直な感想をちゃんと記録に残そうと思う。

あーあ、意味わかんなくてつまんなかった!!!!
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