レインウォッチャー

コット、はじまりの夏のレインウォッチャーのレビュー・感想・評価

コット、はじまりの夏(2022年製作の映画)
4.5
大切なものは、いつも静けさの中にある。
言葉にされないもの、できないものたちが、確かな形をとらないまま心のうちに沈んでいく。言葉は浮きでもあると同時に枷でもあって、時にはその深さに手が届かない。

A Quiet Girl、コットと、彼女をひと夏のあいだ預かるアイリンとショーンの夫婦もまたそうだ。彼らが抱える感情は、単に「さみしい」とも「つらい」とも言えず、ただ明らかな《不在》としてぽっかりそこにある。
子供として、大人として、違う立場と原因ながらも色々なことを察したり諦めすぎて、言葉にできるタイミングを追い越してしまったのだろう。映画は、そんな彼らに寄り添っていく。特に、コット(子供)の感覚を借りたような視界の角度、明るさ、新鮮さが印象に残る。

言葉少なであるぶん、風の揺らす葉が、鐘が、秒針が、光と色が、そして《水》が、ぽつぽつと語る。急かすことなく、むしろ庇うように、待っている。彼らの喪失のピースがゆっくりと円磨されて、同じ形に揃う時まで。

中でも雄弁なのは《水》。
常に、水らしく様々に形態を変え、重要なオブジェクトとしてコットの周りにある。コットの夜尿、初めての入浴、井戸、降らない(待たれる)雨、注がれるお茶、夜の海。

これらの仄めかし、イメージは、やがて《洗礼》へと収束される(※1)。洗礼はキリストの死と埋葬を模した生まれ変わりの儀式。今作はコットにとって「生まれ直し」の物語だったといえるけれど、終盤のとある決定的な出来事を経ることで、彼女は「一度死ぬ=再び生まれる」のである。
このことが示すのは、アイリンとショーンの救済でもある。彼らの喪失の記憶とコットのとる行動は対になり(反復され)、しかし結果は異なる。彼らの相互的な救済が結びつきを強調し、その出会いがどれほどかけがえのないものか(※2)、そしてラストの展開にも説得力を与えているといえる。

思えば、映画の冒頭から既にコットの魂は「死んで」いた。叢が映し出され、家族がコットを呼ぶ声が聞こえるのだけれど、返事はない。するとゆっくりとカメラが動き、草の中に横たわる彼女が見える。一瞬、思わずぎょっとしてしまう開幕だ。

そんな彼女が、滞在先で生と死の意味をあらためて体験を通して知っていく(※3)。仔牛にミルクを飲ませ、隣人の弔いに触れる。
そしてようやく実感を伴った生のイメージが具現化されたのが《走る》アクションだろう。郵便ポストへのおつかいとして始まった走る習慣。コットが実家にいるときも郵便を受け取るシーンがあるけれど、そこでは郵便屋から受動的に受け取るのみ。対照的に、彼女は自らの意志で能動的に走ることを覚える。髪が揺れ、息が切れる。笑みがこぼれる。昨日よりも速くなる。彼女は「生きている」。

スローモーションを駆使したり、明らかに力の入った撮影もありつつ、この積み重ねがラストをよりエモーショナルにする。
洗礼という通過儀礼、走るという自己表現方法を経て、彼女は神=父の所在を初めて本当の意味で知ったのかもしれない。それは、最後のたった一言に凝縮されている。

聞けないものを聴くための、細やかな映画だったと思う。
それらを少しずつ受け取って、体の中を透明に流れていくとき、震える波紋を感じる。わたしの底にある水が動く体感、誰かのこころに触れるとはこういうことなのかもしれなくて、いまだに音が内側を撫でている。

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※1:
この洗礼については、コットが読んでいる『ハイジ』の一節にもヒントがあるものだけれど、お国がアイルランドということもあってやはりキリスト教(カトリック)の文脈で語れることが他にも多そうな作品だと思う。

たとえば、コットは寡黙でなかなか表情を崩さないけれど、イエス像やマリア像といった聖像もまた、その多くが大袈裟な表情を持たないことを想起させる。仏教の仏像もアルカイックスマイルと呼ばれたりするように、殊更に感情を決めつけず信者の眼前に佇むことで、その先にある神の存在を自由に想像させ、ひいては内省を促すものであろう。
黙してこちらを見つめるコットは、アイリンたちにとっての聖像ではなかっただろうか。コットは水鏡となり、アイリンたちの心を映し出す。夜の車中、コットが初めてアイリンたちの口から明確に過去の出来事を知る場面は、まるで告解のようだ。

※2:劇中でラジオから流れる、Jim McCannの『Grace』はこんな一節を歌う。
"There won't be time to share our love, for we must say goodbye."(愛を分かち合う時間は少ない、さよならが待っている。)

※3:このプロセスから強く想起する映画たちがある。ビクトル・エリセ監督の少女映画の諸作だ。
『ミツバチのささやき』は初めて《死》の意味を知って帰ってくる少女の映画で、今作と構造も要素もごく近い。また、コットが走るまっすぐ伸びた並木道からは『エル・スール』の風景を思い出す。