私はパニック障害を患う当事者であるのですが、そこだけでなく作品中で起きていることの色々が自分のことおよび自分の周りのこと過ぎて、映画を観ているという感じになれなかったけど中盤からあぁ三宅唱の映画だなぁと感じられるようになった。マイケル・ウィンターボトムの「ひかりのまち」みたいな余韻の作品だった。
「夜明けのすべて」が素晴らしいのは、人は漏れることなく人知れず幾つもの様々な形での別れを経験し、ある者は癒えない傷または病理を住まわせ、望まざる自身または現実に対峙している。夜が暗く冷たく寂しいものだけではなく、何らかの光を見つけることのできるものであり得ることを描いたことだと思う。それがあの静かなる夜を被るような街の全景に現れている。そしてPanic Disorderを抱える者も重いPMSを抱える者も純粋でか弱き生命ではなく、当たり前にセルフィッシュだったりデリカシーや寛容さにかける瞬間があるとしたこともそう。人間や人生を物語化(消費)することを懸命に避けていることも好感だった。だから所謂キメのショットもそうそうはない。最初は白々しく感じた人物たちの独白も終わってみれば、夜があるから語れることばに感じる。
三宅唱作品に出演していたキャストが沢山出てくるし、足立智充の役柄(仕事後にご飯に人を誘おうとする)とか「きみの鳥はうたえる」まんまで笑ってしまったし、子供達の部活による取材とかこれ「ワイルドツアー」だよね。郊外だったり小さな会社が舞台になっている風景も三宅唱のテーマなのだろう。寂れていつか消えていきかねない場所、そして人と人のつながり。それは恒星のようである。いつか消えていくもの。でもそれは悲しいことだけではない。
三宅唱作品に出演していたキャストが沢山出てくるし、足立智充の役柄(仕事後にご飯に人を誘おうとする)とか「きみの鳥はうたえる」まんまで笑ってしまったし、子供達の部活による取材とかこれ「ワイルドツアー」だよね。郊外だったり小さな会社が舞台になっている風景も三宅唱のテーマなのだろう。寂れていつか消えていきかねない場所、そして人と人のつながり。それは恒星のようである。いつか消えていくもの。でもそれは悲しいことだけではない。
そして、渋川清彦がとても良かった。いいと思ったこと今までなかったけど本作は良かった。この演じたキャラクターの作品上で見せていない部分、それは正にこの作品における「夜」なのだ。終盤にかけてのあるシーン、さらっと流して演出してたけど素晴らしかったし、あれをさっさと流して終わらせることに三宅唱の矜持があるのだと思う。
藤沢さんと山添くんのPMS/PD(Panic Disorder)当事者同士のヒヤヒヤする会話も原作そのままなのだろうか。そこも良かった。正しさを描こうとしている作品ではなく、人はもれなく無知ゆえに不寛容である瞬間があることが描かれたし。あと、この二人の関係性は恋愛ではないもので最後まで通底していたけど、仮にこの二人が恋愛関係にあったとしてもこの作品に貫かれているテーマは揺るがないだろうと思える懐の大きさというか強さがあった。