ヨーク

めくらやなぎと眠る女のヨークのレビュー・感想・評価

めくらやなぎと眠る女(2022年製作の映画)
3.8
映画好きの間であれだけ話題になった濱口竜介の『ドライブ・マイ・カー』を未だに未見なのはひとえに原作者たる村上春樹があんまり好きではないという理由からなのだが、この『めくらやなぎと眠る女』は同じ村上春樹作品の映画化であるにも関わらずすぐに観てしまった。その理由として一番大きいのはアニメ作品だったからですね。宣伝の謳い文句としても使われているが村上春樹作品の初アニメ化となるわけだから、これはまぁ流石に興味湧きますよ。
というわけであんまり村上春樹が好きではない俺が観てきたわけだが、結論としてはまぁまぁ面白いなという感じでしたね。SNS上なんかだと話題作に関しては超傑作か超駄作かの極端な評価を下した方が注目を集めやすいという良くない傾向がありますが、そんなの完全無視するならまぁまぁとしか言いようのない作品でしたね。だが元々村上春樹が好きではない俺がまぁまぁ面白かったと言うのだから、村上春樹大好きっ子なら超傑作になるかもしれないがそこは好きだからこそコレはないわ~、みたいな部分もあることだろうというのは想像に難くない。
ただ、個人的には村上春樹的世界を実に上手くアニメーションとして落とし込んでいると思いましたよ。ま、だからこそ俺的には改めて観るとやっぱ春樹あんま好きじゃないよなー、ということを自身に刻み直したような映画でもあったのであるが…。ちなみに俺も別に村上春樹作品の全てが嫌いというわけではなく『スプートニクの恋人』や『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』なんかは結構好きな方である。短編集なら『レキシントンの幽霊』や本作の核の部分にもなっている『神の子どもたちはみな踊る』とかも好き。ちなみに村上春樹原作の映画作品では『トニー滝谷』がぶっちぎりで好きで、これだけは春樹云々関係なく名作だと思っています。
話を本作『めくらやなぎと眠る女』に戻すと、この映画はあんまり春樹好きではない俺が分かるだけで村上春樹の5本(多分)の短編集を元にしてそれらを統合・再構成した映画です。それらの短編はタイトルにもなっている『めくらやなぎと、眠る女』と『かえるくん、東京を救う』と『UFOが釧路に降りる』と『ねじまき鳥と火曜日の女たち』と『バースデイ・ガール』であろうと思われる。生粋のハルキストなら「いやあと3本くらいネタ元あったから!」と思われるかもしれないが俺が分かったのはこれくらいだった。しかしこれだけでも分かると思うが、まず5本(少なくとも)もの短編小説をつぎはぎして1本の映画として成立させるというのが結構な綱渡りなのだが、上記したようにそれらを繋ぎ合わせながら村上春樹的な世界を見事に作り上げているのでそれはマジで凄いと思いますね。
時代設定は2011年になっているので細かいニュアンスは色々と変わっているのだが、阪神淡路大震災を東日本大震災に置き換えながらも全体としては上手くまとまっていると思う。ただやっぱ決定的に好きじゃないんだよな、と思うところとしては村上春樹という作家の根源的な資質として、作中でも重要なセリフとして使われている「自分はどこまで行っても自分なんだ」という考え方なのだと思う。俺、春樹のこの部分が本当に嫌いなんですよ。自分で自分を自分として定義してしまうということが嫌いだし、それを守るための殻を作る物語が多いことも嫌いなんですよ。いや逆だろ、と。むしろ壊せ。自分なんてものはないんだからそんなものとっとと壊してその先へ行け、というのが俺の基本思想なので要約すると、僕はどこまで行っても僕で僕の殻を破ることはできないんだよぉ…っていう物語ばかりを書いている村上春樹は好きではないし、それをパッチワークした本作もその作劇技術は舌を巻くしかないのだが、全く好きではなかったですね。
苗字が同じだからよく比較されていたが個人的にはドラゴンの方の村上が圧倒的に好きなんですよ、俺は。村上龍ならまずやることが自己の境界を壊すところだもん。僕が僕以外になるためにどうすればいいだろう、そこで破壊が必要なら何だって壊してやる、っていうそれが村上龍の一番好きなとこなんですよ。僕が僕であるためにその境界を守ろうなんてこれっぽっちも考えない。透明のような朝の中で自分の腕を傷つけたガラス片のようになりたい、自分ではないものになって美しい世界の稜線の起伏をそこに映してみたい。それは東京だろうが女だろうが願いだろうが、それらが自分の中にあるものだという前提で世界を捉えようとする春樹的な世界とは別物だと思うし、俺はそのように生きたいと思う。
最初に濱口竜介の『ドライブ・マイ・カー』は未見だと書いたが『悪は存在しない』は観ていて、先日感想文も書いたが非常に村上春樹的な世界観の作品だなと思った。田舎と都会、自然と人間が決して相容れることはないし本質的に自分が自分以外の存在にはなれないという非常に保守的な物語だと思ったんですよ。昔からずっと思っていたけど村上春樹もそういう保守性を持った作家なのだと思う。そしてその保守性というのはものすごく優しいから多くの人の心に響くのだろう。だって、ものすごく迂遠で長大で深い思索を辿りながらも最終的には「君は君のままでいいよ」って言ってくれるんだもん。そりゃみんな好きになっちゃうよ。
本作でも非常に出来の良いアニメーションでもって演出の数々も村上春樹の世界を補強しこそすれ崩すようなことはない上質なもので、とても優れた映画だと思うのだがやっぱり好きではないのである。現実ならともかくさ、作り話の中でそこまで物分かり良くならなくてもいいんじゃない? って思うんですよね。まぁ『1Q84』以降の村上春樹作品は一切読んでいないので最近はどんな感じなのか全く知らないんですけどね!!
しっかし春樹作品って何であんなに童貞くさいんだろうな…。女性の中にある他者性の描き方のパターンが少ないからかな。でも互いに全裸になったベッドの上で「もしかしたら明日地震が起きるかもしれない」と言うのは好きだけどね。
ちなみに俺は吹き替え版で観たんですけど凄く良かったです。日本が舞台で日本人ばかり(かえるくん以外は…)の映画なので、そこはむしろ吹き替え版の方がしっくりくるんじゃないかなとさえ思いますね。
ま、アニメーションの質は高いし面白い映画でしたよ。『神の子どもたちはみな踊る』は大前提として阪神淡路大震災を受けて書かれたもの(連載中は『地震のあとで』というタイトルじゃなかったかな)なので、それを東日本大震災に合わせるのはやや無理があるとは思ったものの、ハルキストのファンムービーとしてはかなり良い出来なのではないでしょうか。ハルキストじゃない俺でそこそこ面白かったから好きな人にはオススメできると思いますね。ちゃんとパスタを茹でるシーンもあるぞ!
ヨーク

ヨーク