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ヴァチカンのエクソシストのStroszekのネタバレレビュー・内容・結末

ヴァチカンのエクソシスト(2023年製作の映画)
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このレビューはネタバレを含みます

原題"Pope's Exorcist"。

信仰を扱った映画としては韓国映画の『プリースト』の方が数倍はよくできていると思う。悪魔祓いの段取りとか思想とか、あちらの方が詳細に描かれている。若い女性を救えなかった罪悪感に苛まれる壮年祓魔師と若年修道士(この映画では神父)という組み合わせが同じなので、既視感がある。

『プリースト』は黒い豚に悪魔の魂を移せるか否かがクライマックスだったが、こちらは序盤でその様子が描かれ、「精神病患者であり、実際に悪魔に取り憑かれている訳ではない」とアモルトが喝破する。

『プリースト』は悪魔の名前を知るまで死ぬほど苦労していたが、この映画ではオヘダ修道士が遺してくれた日記で簡単に「アスモデウス」だと分かる。

名前が分かってるのにあんなに強力、というのがこの映画の悪魔の肝なのかもしれない。

残る199の悪魔を封印するアモルト神父とトマースの活躍よりも、オヘダ修道士がアスモデウスを封印するまでの死闘の方が観たい。それほど、オヘダが自らを監禁した檻を中心に据えた地下封印場所のルックは魅力的だった。

「スペインで吹き荒れた異端審問の嵐はヴァチカンに潜り込んだ悪魔がイザベラ女王に異端審問を勧めたせいだった」というのはいくらなんでもカトリック教の罪の外部化では?と思ったが、聖職者に若い女性が性的虐待を受けた事件をヴァチカンが隠蔽した、という点も語られている。ヴァチカンの中心である法王とガブリエル・アモルト神父は懇意にしているのだが、その尊敬している法王が隠蔽したことについては矛盾を感じないのだろうか。

この映画は教会の罪(異端審問)を悪魔の仕業と外在化しているが、悪魔は人間に内在する罪悪感を嗅ぎつけそこにつけこむ存在として描かれる。罪と悪が入れ子構造みたいに入り組んでいる(作り手がそのあたりを意識したかどうかは不明だが)。

アモルト神父もトマースも、女性関係で罪の意識を抱いており、そこを悪魔に利用されるので、それぞれハリウッドナイズされたJホラーの女幽霊みたいな女怪を相手することになる。プロデューサーがSNSでJホラーの影響を語ったらしいが、井戸の中に悪魔が封印されてるところとか、女怪のルックとかだろうか。

祓魔物なのに黒蹄を持ったパワフルな男の悪魔は出てこないで、女性化されている。「ジャンルにはジャンルの特性というものがあると思うが〜」と思ったが、悪魔に取り憑かれたラッセル・クロウの見た目が男性悪魔の代替物なのかもしれない。
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