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SISU/シス 不死身の男のStroszekのネタバレレビュー・内容・結末

SISU/シス 不死身の男(2022年製作の映画)
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このレビューはネタバレを含みます

血と暴力の抒情詩という感じである。

SISUおじさんが何をされても死なないので、リアリティラインはファンタジーのそれなのだろう。

特に、縛り首になってもものすごく長い時間生きながらえる原理がよく分からなかった。足の大きな傷をポールから出っ張った釘に引っ掛けてたが、あれだと体重を支え切れないで下に沈むばかりだろう。

飛行機の外壁をツルハシで破壊して侵入、というのも物理法則を無視しすぎではないか。

何度も消毒しないナイフや素手で鋼の破片を体内なら取り出すシーンがあるが、ばい菌が入って破傷風になってしまうのでは?

戦車の砲身が、兵士たちの慰安婦として捕えられている女性たちの乗るトラックのカーテンを突き抜けてヌッと入ってくるのが、ベタとは言え戦時性暴力の比喩としてうまく機能してるように思う。

最後、伝説的人物であったSISUが俗世の象徴のような銀行に赴き、金塊をドサっと置いて「換金してくれ。その方が運びやすい」と言うのにそこはかとないユーモアと人間味を感じた。おじいちゃん、やっぱ重かったんや、と。

ナチス表象は、リーダーのブルーノがスキンヘッドなこともあり、ナチスというよりネオナチっぽい。あんな愚連隊みたいなナチスはいたのだろうか。1944年の設定なのに鉤十字も使ってないし小汚い格好をしているし、ナチスの制服萌えみたいな軽薄な姿勢を取っていないのがよかった。しかし彼らは英語を話している。女性捕虜たちが最後にフィンランド兵かロシア兵と会話するときにはその土地の言語を話しているのに、ナチスは英語というのに違和感を感じた。ブルーノの捨て台詞は“Fuck you!"ではなく"Scheiße"の方がよかったのでは?

ナチス表象の真正性を追求するとどうしてもドイツ語萌え、制服萌えの要素に突き当たるので、「英語を話すナチス」になったのだろうか。言語面で言うとやってることは福田雄一の『新解釈・三國志』(2020)と同じかと思ったが、「中国人が日本語を話す=日本市場しか見ていない」なのに対し、「ナチスが英語を話す=ハリウッドを見据えている」ということなのかもしれない。

サバイバル系の映画であまりリアリティラインをファンタジー寄りに設定されると、サバイバルの創意工夫部分との齟齬が出てしまうなあ、と思った。「何しても死なないんだったらあんなに血ぃ流す必要ないじゃん」と。
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