ニトー

レオノールの脳内ヒプナゴジア(半覚醒)のニトーのネタバレレビュー・内容・結末

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このレビューはネタバレを含みます

これ、原題が「LEONOR WILL NEVER DIE」(英語なんだけどこれ原題でいいのかしら)なんですけど、こっちの方が通りがいい気がする。終盤からのラストを思うと。

白状しますと徹夜明けだったとはいえ前半は結構タルい。割と寝落ちしかけました、ええ。レオノールの頭にテレビが落ちてきてからようやくエンジンがかかり始めるんですけど、そこまでは(意図的とはいえ)カット割りも少ないしアングルも単調でロイ・アンダーソンの「さよなら、人類」みたいな間の使い方するしで「オモシロ映画」観に来たマインドセットの自分にはもう微睡みしかなかった。

んが、レオノールの夢の世界と現実の世界の両方で話が進みながらやがてそのどちらもが混然一体となって虚実の皮膜が剝がれていく感覚や、そこにもたらされるメタ構造が明らかになっていくにつれて尻上がりに面白くなっていく。

特に創作物におけるキャラクターの扱い、とりわけキャラクターの死(さらにこの映画はライブアクションであり、役者の身体性がある)をどう扱うかという創作者とキャラクターの対立。そこに息子を死なせた母の贖罪意識がダブらされることで(これは劇映画なので実際にはレオノールも創作者というロールを担ったキャラクターではある)キャラと人間の死を「劇映画の劇中」という仮想の土台ではあるがその土台の上では同じ地平に置かれることになり、一つの「キャラクター論」としても中々示唆に富む展開であった。
1/31追記
これだけだとちょっとアレなので追記すると、クリエイター(創造主)であるレオノールを、その被造物であるキャラクターと同じ地平に引きずり下ろすことは、その創造主=神の実存をこそ問う行為に他ならない。
などというのは大仰だが、しかし劇中ではすでに過去の人として認識されているレオノールを「リメンバー・ミー」的な論法に還元するとするならば、やはり実存主義的な問題は立ち現れてくる。
劇中ではその問題には突っ込まずあくまでレオノールという個の幸福というミニマルな問題に対する回答に留まる。だからなのか、そういった彼女の煩悶が描かれる他方で何の説明もなくあっけらかんとゴーストの状態でいる兄と彼の小学生じみた振る舞い(コピー機のあれはなんですか、バートくんですか)は、その問いかけ自体を茶化しているように見える。無論、自身の死に囚われる母を慮りはするのだけれど、肉体と言う枷に囚われず彼女の脳内脚本上ですら自由闊達に振る舞う(リテイクて)様はレオノールの必死さとは裏腹である。
キャラクターの実在とその創作者としての肉体を持つ人間の実在。おそらくそれ自体を扱う気は監督にはないのだろう。意図せずに浮上してきただけで、それを私が勝手に読み取ってしまっただけで。

また、メタ構造にメタ構造を重ねた結果、話の本筋が元にもどるというのも面白かった。

ところでレオノールの脳内映画(営為製作中)のアス比がおそらくテレビサイズなのだが、彼女がVHSをよく買って観ていることや脳内映画が展開されるきっかけになる落下物がブラウン管テレビであるということを考えると、これはやはりテレビであるということが一つ、私の涙腺を刺激したのではないかと思う。ええ、ちょっと泣きましたよ私は。

具体的にはVHSを売っている男の子が、レオノール脚本の映画の登場人物としてレオノールがテレビ画面に映ったのを目にして友達を呼んでその映像を観るというシーン。

映画館ではなくテレビで映画を――意図せず事故的に――観るということの、そしてその映画に胸を躍らせてわくわくしながらキャラクターにシンクロすることの高揚感がこのシーンにはあった。すっかり忘れていた、けれど確かに自分にとって「映画を観ること」の原初的体験の悦びがそこにはあったのだ。これは世代的な感覚も大いにあるだろうし、私の感じたものを違う文化圏の監督に見出せるのか分からないし、必ずしも万人に通じるものではないかもしれない。

ことに自分より上の世代は映画館に足を運ぶことが映画の原体験だろうし、下の世代はすでにサブスクで観ることが当たり前なうえに映画以外の娯楽が充実しているからそこで「物語」に触れることも多いだろう。

けれど、私は午後ローやら洋画劇場やらで大作映画を観るというのが、もしかすると映画館で映画を観るよりも先立って映画体験としてあるやもしれず、このシーンにあるのはそのノスタルジーを刺激するものだった。

なのでまあ、このシーンだけでお釣りがくるくらい良かったのでそこまで文句もない。だけれど、まあメタ構造にメタ構造を重ねすぎてちょっとくどいかな~とか、兄貴の幽霊の突拍子のなさとか、意図的な演出だと分かっていてもアクションシーンのしょぼさはまあちょっと退屈と言わざるを得ない。もはや覚えている人も少ないだろうが「カメラを止めるな」の序盤の退屈さに似たあれ。それが前振りだとわかっていて、後からその真意が分かったとしても感じた退屈さ自体は減じないわけで。

あとちょっと異世界転生…というより悪役令嬢転生ものと似た感じもありましたな。「これ進研ゼミでやった問題だ!」というアレね。
ニトー

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