ニトー

傷物語-こよみヴァンプ-のニトーのネタバレレビュー・内容・結末

傷物語-こよみヴァンプ-(2024年製作の映画)
-

このレビューはネタバレを含みます

三部作版の傷物語が公開していた当時、そもそも私は物語シリーズの視聴から離れていたし公開型式が分割だったのであまり食指が動かなかったのだが、なぜ今になって観ようと思い立ったのか。正直自分でもよくわからない。

去年の夏だったかに1期の再放送をしていてそれを回顧目的で観ていたからか、それにつられてOP・EDのアルバムをヘビロテしてセルフパブロフの犬をしていたからか、はたまた物語シリーズにさして興味のない友人がなぜか再編集前の分割公開されていた傷物語を完走していたことをふと思い出したからなのか。

アニプレックスがまた物語シリーズのアニメを企てているっぽいからというミーハーな理由ではないということは言えるのだが、深夜アニメに対して当時に比べてニュートラルな視点に立ち戻りつつあるからというのはあるかもしれない。当時の私は今とは比べ物にならないほどへそ曲がりだったので。

などと至極どうでもいい前置きを書いたのは、ひとえに「物語」シリーズに対する距離感を自己確認しておきたかったからだ。
物語シリーズに限らずゼロ年代に話題になったラノベ系アニメに対しては少なからず思うところがあって、それが主に懐古趣味的な評価軸に寄ってしまうのではないかとちょっと危惧していたので。

まあ杞憂だった。テレビの物語シリーズの手法は知っていたからめちゃくちゃ驚くということはなかったにしても、それにしてもかなりハードコアな映画で、にもかかわらず昨今のAI出力に負けそうなよわよわ定型キャラクターを雁首揃えて縊ってしまえそうなキャラクターの描写など、でかいスクリーンで観れてよかったと思える怪作だった。

化物語の手法を地続きに援用しながら広義のルック・サウンドデザインを大幅に変えているのが傷物語の大きな点で、まずもってワイドな画面を目いっぱい使ったショットのレイアウトの多用はテレビシリーズではやらないだろうし、インタビューを読んで改めて気づいたのだが物語シリーズなのにモノローグやナレーションがないということ。無論、あれだけ多用するのが異質とまではいかないまでも明らかに物語シリーズの特色としてあるにもかかわらず、それは使っていないというのは中々新鮮というか。

だからこそ物語シリーズとしてではなく一本の映画として違和感なく観れたというのはあるかもしれない。

元々が三部作だったのを一本にまとめたものであることから、違和感こそないもののやはり幕ごとの空気感は結構違っている。まあパンフでも言及されているのだがやはりこの映画の一つの大きな要素としてロケハンは欠かせまい。

実際にある場所をフォトリアルなCGの背景として継ぎ接ぎにした結果、レゴやトミカワールド的な、もっといえばゲーム的なある種の箱庭世界を強烈にイメージさせ、その箱庭世界からメインキャラクター以外の存在を排斥している。
これ自体はテレビシリーズのときから使っている手法で、モブ的な物体(人や車両)を明らかにメインキャラクターと位相の違うものとして描きだしていたのだが、本作においては既述のようにフォトリアルのCGとそのアーティファクトの選択と色彩設計がよりその印象を強めている。
有り体に言うと、90年代後期~ゼロ年代前半の黒沢清的な閉塞・破滅的な世界を想起させる。羽川パートはあんなきゃぴきゃぴしていて(羽川がテレビシリーズより数段かわいく描かれている)、「逆によくそこカットしなかったな」というパンチラなど、時代錯誤といってもいいこてこてなラブコメっぽいパートから急転直下するのだけれど、しかしやはり二人がそんなベタなやりとりを繰り広げている中で憮然と佇む工業地帯の建物やその色味(そもそも冒頭でかなり不穏なパートを先取りしているというのもあるが)が、そういった黒沢清的な世界(=暦の世界観)の破滅を予感させる。そこからさらに地下鉄の駅の豪奢で煌びやかなエスカレーターシーンのすわシャイニングかと言いたくなる不穏さからキスショットに血を吸わせるシーンまでは前半の白眉と言っていいだろう。

特にキスショットが血を吸うシーンは本当に陶然とする場面で、もはや「吸血鬼」というものが属性としてのみ雑に扱われがちな日本のアニメ界隈にあって、その本質として吸血鬼という存在が放つゴシック・幻想的エロティシズムが活写されていてヤバイです。これは私の所感なのだけれど、このキスショットの持つエロティシズムがレ・ファニュの「カーミラ」的な百合百合したものではなくドラキュラの男性的エロスであることが何気に凄まじいことではないかと思うのです。あれだけ女性的(ステロタイプな)記号を担わされているにもかかわらずそう見えるのは、キスショットを吸血鬼として真摯に描いたからこそ、そういった性別越境的な「吸血鬼の魅了の力」が生じたのではなかろうか。

第二幕のヴァンパイアハンターたちとの戦闘は普通にそれ自体として楽しいし、特にエピソード戦の音楽や普通にグロい描写など(まあ神原戦でもっと派手なことやってるけど)諸々含め飽きないし中だるみしないのは流石。

で、第三幕のVSキスショットなのだけれど、その前に彼女がやはり怪異なのだということが示される(露悪的な)シーンも結構ドぎづい。
これは物語シリーズの特色で、二次元上のマテリアル(テクスチャなども含む)の差異がもたらす異化効果がここでも発揮されているのだけれど、それにしても生首の物体感はちょっと異常。

この辺からVSキスショットのやりすぎ戦闘シーンなどはもはやスプラッター映画然としたギャグめいており実際に私は何度も笑ってしまったのだけれど、監督は割とマジだったらしく、だかこそ笑いに転じてしまうほどの場面になったのだなと。

実際、キスショット戦のアニメーションは作画の凄まじさもさることながら「不死身性」を持った者同士がつぶし合ったらこうなるというアイデアも豊富で、めちゃくちゃ楽しい。それがオリンピックの競技を模していたり、マジで当時の解説音声をぶちこんできたり好き放題やっているのだが、国立競技場というロケハン、および作品全体を60年代高度成長の日本建築で固めてきたこと、およびあのED曲からもわかるようなバッドエンドテイストが、東京五輪というクソみたいなイベントを通過した今振り返るとほとんど社会風刺的な様相を帯びてくるのが面白い。もちろんこれは偶然でしかないのだけれど、60年代日本の負の遺産が思いがけずフィルムに現出してしまった時代性は、まあ遅きに失したということもできるのかもしれないけれど、まさか箱庭化された物語シリーズにそんなものが写し撮られるとは思わず、かなりびっくりした。
ニトー

ニトー