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落下の解剖学のRenのレビュー・感想・評価

落下の解剖学(2023年製作の映画)
4.0
裁判・法廷映画の名作として今後も残っていくことは間違いないし、事実とても面白かった。夫婦、子ども、司法、果ては人間以外の存在からも真実の所在を照射し分解していくストーリーテリングが見事。

証言と証拠と主観と想像が、真実に輪郭を与えていく。『十二人の怒れる男』や『情婦』に代表されるクラシカルな法廷劇でもあるが、現代を突き刺す現代の映画でもある。これをこのまま1960年代の人々に観せても同じように評価されるだろうことが容易に想像できる。

作中、報道手段としてテレビは出てくるが、SNSやインターネットといった現代劇に必須の小道具は排除されている。今作の面白いところは、デジタルネイティブへの警鐘をデジタルを使わずにやり切った点にあると思った。
切り抜き。曲解。印象操作。何度も何度も警鐘を鳴らされても絶対に無くならない、SNSにこびりついた病理。議論などできる筈も無いSNS上で/匿名で/文字で見ているそれらが、議論をする場でしかない法廷で/生身の人間が/生の声で再現されていくことの違和を楽しむ(楽しめない)、という見方をしてしまった。

検察側は犯罪の証明を。弁護側は無実の証明を。互いが互いの目的のために交わす弁論が純度100%の真実を浮かび上がらせることなんて不可能。裁判ってハッタリと詭弁なんだーという『リーガル・ハイ』的ファンタジーコメディではなく、事実と想像を粘っこく見極め続けて事実を濾し取ろうとする世界の裁判ですらこうなのだと見せつけられたようで どっと疲れた。

事実のみを語れと言った舌の根が乾かぬ内に想像を語り出す人。証拠=事実より情で動く人々。個人的には、それは司法システムへの批判という側面より、「国が抱えるシステムすらこうなんだから、ネットでまともな議論ができると思って議論っぽいことをしている人たち漏れなく阿呆だな」という感想だった。「それは貴方の主観的意見です」が、かの最悪ネット論客のミームに聞こえてきてしまう。時折出る嘲笑と笑い声も、ネットが有声化されたような居心地の悪さだった。

こういう対話の齟齬の話は、裁判という大枠の中に潜り込んで「夫婦」をもターゲットにする。対話地獄マトリョーシカ映画。『ゴーン・ガール』『マリッジ・ストーリー』に次ぐ、「夫婦という特殊な人間関係、尊く見えてめちゃくちゃ怖いじゃん」映画に認定したい。夫婦なんて言わばエゴとエゴのシーソーゲームで、責任の所在のなすりつけ合いだ。世界って全部こうだったんだ。真実なんてどうでもよかったんだ。

そんな時制に簡単に揉まれる世界で、自分で自分の意志を持って行動に起こし、自分の結論を出すことがどれだけ意味のあることか。この時代でそれをできる人間は誰なのかが明かされると、この物語の真の主人公が確定する。

真実を求める人たちが真実の外側で争う(それをさらに外側の人たちがジャッジする)話なので、ミステリー的爽快感を期待するのはそもそも間違い。大の大人が押し合い圧し合いでどんな形の結論を作るのか?を楽しんでほしい。
そして裁判を傍聴するように、登場人物を好き勝手応援して感情移入して、怪しいんじゃないか〜?とジャッジする部外者仕草をする自分に気付いてゾッとしてほしい。誰の感情にもライドせず、「客観的視点」で居続けることなど不可能なことに気付いて落胆してほしい。人間とは、世界とはそうなのだと気付いてしまってほしいと思う。

最後に、観た人全員が絶対に語りたくなるスヌープ役のメッシ君。パルム・ドッグも受賞したハイパーかしこ可愛いボーダーコリー犬だが、なぜみんながここまで熱狂しているのかがあるシーンで分かる。これはれっきとした犬映画。「ノンバーバルなコミュニケーションで意思疎通する存在」でありながら「家族の中心にいる」ワンちゃんが今作の重要なポジションにいるのは納得できる。2ヶ月の訓練を経て体得したという超絶演技を見逃すな!

連想作品
『ゴーン・ガール』
『マリッジ・ストーリー』
『パワー・オブ・ザ・ドッグ』
『Fair Play/フェアプレー』
『バービー』



《⚠️以下、ネタバレ有り⚠️》










白黒を決める裁判の場で最も場違いな証言をするのがラストのダニエル。彼の情に動かされたからか知らないが、結果的にサンドラは無罪を勝ち取る。

愛犬に薬を飲ませるダニエル。動物倫理の価値観ではそれ自体には全く共感できないが、自分は父の言葉を信じて母を守るのだと考えた上での行動に思う。虚構と虚構でバトルする大人たちより、その点では最も大人(であり最も子ども)に見えた。空虚な論破戦から抜け出して母を救おうとした彼こそ、裏主人公と言っていい。『パワー・オブ・ザ・ドッグ』のピーター(コディ・スミット=マクフィー)のように。

勝訴後のエピローグを想像以上に長めに引っ張っていた。だから、その後にサンドラ真犯人!のどんでん返しを期待したゲスい自分がいたのも事実だけど、徹底してそこを見せない。ダニエルが、彼の「善き」行いのおかげで殺人犯(母)を野放しにした可能性も残っている。だとしても、この物語としてはいいのだと思う。SNS的システム世界のイヤさと、そんな世界で事実を追求することの話なのだから、「事実」は空虚でいい。

ここから先は調書に書かなくていいけど、自分はサンドラが殺したと今でも思っている。
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