アー君

落下の解剖学のアー君のレビュー・感想・評価

落下の解剖学(2023年製作の映画)
3.6
特段にカンヌやアカデミーに振り回されるタイプではないとは自分では自覚をしているつもりであるが、(なぜかオールタイム・ベストは上位を占めているけど)本作はとても観に行きたかった作品ではある。スケジュールの調整がつかなかったが、何とか劇場へ足を運ぶことができた。

鑑賞後の率直な感想としては、脚本による人物描写が丁寧で計算されているため評価が高いのは頷(うなず)けるが、一部の間では内容や結末に納得が行かずにモヤモヤした人も結構いたのかなとは感じた。

[↓以下ネタバレを含む内容がございます↓]

その不満をあげている声の理由としてポスターが原因だと思われるが、日本で公開されているポスターは倒れた男と電話をする女と子供が雪面を背景に俯瞰(ふかん)から撮られた絵柄になっているため、サスペンス要素のある映画だと思われがちではあるが、職業柄、日本以外のポスターを調べる癖があるが、一部の海外ポスターは赤色をバックにした仲睦まじい夫婦のスナップショットである。これはキャッチコピーにしてもそうであるが、日本の場合はマーケティングに中途半端な心理学をかじっているので最初に見た視覚的なイメージを利用した誇大広告とまでは言わないが、サブリミナルのような誘導戦略もあったのではないだろうか。

そして韓国版のポスターになると、見下ろす子供の頭部と左部に母親が事件現場から外を見ているデザインであり、この事件の真相を暗に伝えているポスターである。仮にデザインどおりのダニエルの頭の中にある想像であっても直接的な表現である。(韓国版はあまりにも極端なのはどうかとは思うけど。)

〈フランス版ポスター〉
https://m.media-amazon.com/images/I/612aYLWcvKL._AC_UF1000,1000_QL80_.jpg

〈韓国版ポスター〉
https://pbs.twimg.com/media/GF98EjCWIAAkaNb?format=jpg&name=900x900

この映画を観て良かったところといえば、法廷が舞台の映画はアメリカはたまに目にする事はあったが、フランスの司法制度は多少の脚色はあるにしても日本とは違い、検察・弁護側ともに主観的な主張が多かったのは参考になった。(ドラキュラのマントのような法服は仮装のようなイギリスほど派手ではないが、お国柄が分かる。)

そして余韻を残しながら盲導犬のサンドラに寄り添う場面は何かを含ませるエンディングであり秀逸であった。(パルム・ドッグ賞は相当だろう。)

日本人としてフランスを知る上での文化圏として、バイセクシャルである妻の誘惑のような学生とのインタビュー場面については、フランスは結婚をしていたにしても、別のパートナーとの恋愛・性的干渉は当たり前であり、日本でいうところの不倫、不貞とは全く違うライフスタイルであることも重要でなくても念頭には置かなければならない。

法廷劇が主軸になるが、客観的で具体性のある事実として録音された音声が証拠として提示されており、夫側が録音をした夫婦間の口論が後に妻が我慢の限界により暴力を振るったあろう場面で夫が「暴力だ!」叫ぶシーンから音声だけに変える突然の演出は観ている側の想像力のみになるが、夫による故意の録音と冷静に対応していた妻を怒らせようとする計画的な罠である可能性もある。(暴力は夫の一人芝居で自分から傷をつけている可能性もある。)

息子ダニエルの最後の証言は自分と母を庇うための嘘である。監督の意図に回想シーンがないと断言しているので、父親の言葉からではなく、主観性の高いダニエルの記憶による作り話も可能な証言なので、USB音声のような証拠のある客観的な要件事実ではない。

児童心理や小生の子供時代の経験から考察すれば、仮に母親が有罪になれば自分が施設に行くことを想像するため、片親と生活することを合理的に判断をして、大人以上に狡猾に振る舞う場合は多々みられる。(松本清張「潜在光景」の子供の殺意のようにありえる事である。)

これは繰り返しになるが、宣伝広告や予告動画にみられるエンターテインメント・サスペンスのような思わせぶりな犯人探しではなく、上記の考察と反故になるが作者はこの映画の真相において事故死、他殺、自殺でもない真実に辿り着かない前提で脚本は作られている。

敢えて裁判による判決のように矛盾と皮肉を込めた主観的な私感になるが、ジュスティーヌ・トリエ監督の一連の作品の特徴を顧(かえり)みれば、夫婦(男女)間の不和における分かり合えない諍(いさか)いには、人種、国境の違いを越えて民事・刑事においても法的な罪は問われるべきではないメッセージが趣旨であり、フランスならではの身勝手な博愛主義を監督は理想的に描いているため、証拠不十分による「疑わしきは罰せず」のような法諺(げん)とは違う特異な内容であった。

しかしながら一般的な評価(カンヌ・アカデミー)や脚本としての構成力の高さは周知の事実であるが、この映画の焦点である最後のダニエルの証言は、親からの誘導的なダブルバインドに酷似した子供への無意識下による心理虐待もあり、目に障害を負わせるよりも不快であり、「クレイマー、クレイマー」のサイコホラー的な異色版と位置付けをしたい。

パンフレットは28ページで構成された中綴じ仕様のとても綺麗なデザインで丁寧に作られてあった。雪面状を思い起こさせる表紙にスクエア状に空(から)押し加工が施されており、わずかな突起状の凹面との差で手触りに違いを与えている。

_____________________________

Jolene

Jolene, Jolene, Jolene, Jolene
I'm begging of you
please don't take my man

ジョリーン ジョリーン
あなたに強くお願いするしかないわ
彼を連れていかないでほしいの

Jolene, Jolene, Jolene, Jolene
Please don't take him
just because you can

ジョリーン ジョリーン
お願いだから 彼を奪わないでほしい
あなたなら できてるから

オリビア・ニュートンジョンの70年代ヒット曲である「ジョリーン」から。前半のインタビュー場面で夫の部屋からこの曲を大音量で流す予定であったが、許可が下りなかったので50Centの「P.I.M.P.」に変更。

[TOHOシネマズシャンテ 11:50〜]
アー君

アー君