俺がこの『関心領域』という映画のことを初めて知ったのは、おそらく多くの方々と同じように昨年のカンヌでグランプリ(ちなみにパルムドールは『落下の解剖学』)を受賞した際のことであったが、実は本作がどのような映画なのかは全然知らなくてちょっと前にアカデミーで外国語映画賞を受賞したときに初めて内容を知ったのでした。それまでは何か変なタイトルの映画だなー、くらいにしか思っていなかった。いや別に有名な映画祭に興味ない俺かっけー! とか言いたいわけではなくてアカデミーのときに内容を知ったら俄然観たくなっちゃったからむしろ逆に映画祭で名が売れたのが俺にとって凄い宣伝になったということなのだが、しかし面白いアイデアの映画ですよね。なんでもこのどう考えても一般ウケはしないであろう題材で公開週の週末の興行ランキング5位だったらしいですからね。これは中々の快挙ではなかろうかと思う。そこに関しては作品そのもののアイデアだけではなく予告編やポスターなんかの仕上がりが興味を引く感じで非常に上手かったということが一番大きいとは思うけれど。
んで、肝心の映画の内容がどんなものなのかというと、いわゆるナチスのホロコーストものですな。ナチス・ドイツといえばC級Z級のクソ映画から本作のように三大映画祭で最高賞を受賞するような作品まで非常に幅広く扱われる題材である種のジャンルものになっているとも言えるかと思うが、その幅広いナチス題材のものの中でも本作はホロコーストを題材にしたものなので、まぁ間違ってもラストバタリオンが実はゾンビ軍団だったとかいうようなシネマート新宿のスクリーン2でやってそうな作品ではない。
そんなことはどうでもいいのだが、真面目に映画の内容を説明すると本作の主人公は悪名高きアウシュヴィッツ強制収容所の所長を務めて同収容所の隣に一家を構えたルドルフ・ヘスの家族たちと彼自身の生活を描いた作品である。ちなみにルドルフ・ヘスといえばナチスの副総統のことだと思っていたのだがそれは同姓同名の別人らしい。ややこしい。まぁそれは余談だが、映画の方はルドルフ・ヘス一家の日常生活がメインに描かれるわけである。アウシュヴィッツの真隣に自宅があったというのも驚きだが、本作で非常に目を引くアイデアとしてはアウシュヴィッツ内の描写は全くと言っていいほど描かれずに壁を隔てたヘス一家の楽しく平和そうな日常だけが描かれるというものがある。つまりほんの数メートル先では人類史における最大級の罪でもあるホロコーストが正に行われているというのに、そしてそのことをヘス夫妻やお手伝いさんはもちろんのこと子供たちも知っているのであろう状況下でユダヤ人に対する大虐殺に対しては何も心が動かずに淡々と日常を送る生活が描かれるという映画なんですね。
これはおぉ! って思うよな。上で2023のカンヌのときは変なタイトルだけで内容までは頭に残らなかったが2024のアカデミーで一気に内容が印象に残ったと書いたが、23年のカンヌから24年のアカデミーの間に本作に関係する何があったのかというとまぁ当然ながらイスラエルによるガザ侵攻ですよね。記憶にはないけどもしかしたら俺は23年のカンヌの時点で本作の内容を動画なり活字なりで目にはしていたかもしれないけど、それは変なタイトルだなということ以上には印象には残らなかったのである。だが24年のアカデミーのときはそうではなかった。
ぱっと思いつくだけでそこから二つのことを導き出せるが、まずは第一にヘス夫妻の姿が今現在のイスラエル市民の姿に重なるということである。これはとてつもない皮肉で、おそらく監督である・ジョナサン・グレイザーもカンヌでグランプリを受け取った時点では自身の新作映画が半年後にはそのような性質を帯びる作品になるとは露とも思っていなかったのではなかろうか。多分本作の一番の着想元はロシアによるウクライナ侵攻であろう。作中で明らかにヴァシャノヴィチ風の演出によるシーンがあったが、きっとグレイザーは『アトランティス』や『リフレクション』に触発されたという部分もあったのかもしれない。そこにはロシアによるウクライナ侵攻という超大国によるこれ以上ない正面切っての戦争開始といういささか信じがたい出来事が起き、その異常事態を知り最初こそ戦争反対の声を上げながらも戦況が長引けば長引くほどにその戦争自体が日常の一部になってしまい、いつの間にかその現実から目を逸らすようにそれぞれの日常の中へ戻っていった我々に対する批判というものがあったのではないだろうかと思う。だがそのロシアとウクライナの戦争の落としどころが全く定まらないどころか、どんどん泥沼化していく中でさらにイスラエルとパレスチナ間で戦争、と言うのも憚られる一方的な虐殺が起こったわけである。この点に関して本作は、特にイスラエルとアメリカの国民にとっては全く強烈な皮肉となったであろう。本作を高評価するイスラエル人とアメリカ人は自身をナチ政権下でユダヤ人の虐殺に対して見て見ぬふりをしていたドイツ国民と同じだということになるし、そこに目を瞑って(あるいは気付きもせずに)本作を称揚するのであれば、まさにそれが貴方の『関心領域』なのだ、といいう事実を突きつけられるのである。これは偶然ではあるが凄い映画になったなと思うよ。
それが俺にとっての本作の面白さの大半を占めていたのだが、もう一つ重要なこととして、昨年のカンヌ時点では無関心だったのにアカデミーの時点では食いついたという俺の個人的な経験もまた、それ自体が自分自身の内側にある関心の領域の変遷を示すものなのでもある。それは周囲の状況や自身の立場によって移り変わっていくということでもあり、その移り変わりというのは関心の領域を広めることもあれば狭窄させることもあるわけだ。それを実感できた映画として、本作を通じてこれはとても稀少な経験をしたなと思いますよ。
まぁそういう感じで意地悪だなー、とも思ってしまうもののとてもタイムリーな映画なのでとりあえず観ておきましょうという感じではある。こういうのを観ておくことはやっぱ大事ですよ。あと事前に音の映画とは聞いていたが確かにこりゃ劇場の音響で聞いた方がいい映画だと思いますね。ただエンドロールは無音でいいだろとは思った。お化け屋敷じゃねーんだからさ。観客の嫌悪感とかを煽りたいという意図は分かるけど正直狙い過ぎでうんざりするわという部分はあった。そういうあざとさというかわざとらしさが舌打ちしたくなるA24ぽさではあるのだが、まぁ観ておいた方がいい映画だとは思いますよ。