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音声認識中
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音声認識中の作品紹介

音声認識中のあらすじ

吃音のある生花店の店員が、大切な配達に行くため、音声操作の車に立ち向かう。

音声認識中の監督

スティーブ・アンソポロス

原題
Voice Activated
製作年
2022年
製作国
オーストラリア
上映時間
12分
ジャンル
コメディショートフィルム・短編

『音声認識中』に投稿された感想・評価

吃音のお花屋さんが音声操作のある車で、目的地まで向かわなくてはいけなくなる話。

状況は違えど、スマホとかの音声認識ツールで、意図しない操作が勝手に行われたりして、それに振り回される経験は自分もある。

そんな自分と重ねたわけではないけど、主人公の優しい人柄が滲み出ていたからか、機械相手に奮闘する彼を自然と応援しちゃっていた。

そのうえで、障害とか関係なしに、無理して自分ができること以上のものを見せようとしなくていいんだとも思える内容。最終的には人の温かさを感じることができる素敵な作品でした。
【受け取り方次第】

SSFF&ASIA2023にて。
Filmarksの作品紹介で「コメディ」と書かれていたので、そういうテンションで視聴開始したんだけど・・・。
いや、確かにバタバタのコメディではあるんだけど、素直に笑っていいのかな・・・って感じるあたりは僕が日本人だからかもしれないなって感じた。

記憶にも新しい昨年のアカデミー賞授賞式におけるウィル・スミスの平手打ち事件。
世界中が注目する舞台で起きたあのシーンは瞬く間に全世界で賛否の声が巻き起こった。
とは言え、やはり当然のことながら「暴力は許されない」という声が大半を占めていて、「奥さんの尊厳を守ったウィルの男気ある行動」という擁護派の声も、正論を前にしては居心地が悪いといった雰囲気が一般的だった。

ただ日本に限ってみると、ウィルのあの行動に一定の理解を示す人が多かったのが印象的だった。
もちろん大前提として暴力は許されないことは確か。
でも、もしそうだとしたら、あの場で「言葉の暴力」で他人を笑いものにしたクリス・ロックも同様に非難されるべきではないのか?という意見も根強いのである。

あの平手打ちの直後にウィルが涙を流しているシーンが映ったが、恐らく世界中の殆どの人々は「こんな大舞台でやってはいけない事をしてしまった」という後悔の涙として受け取ったのではないだろうか?
でも、日本人的な感覚であの涙をみれば「大切な奥さんを馬鹿にされた事」に対する悔し涙にも受け取れたんですね。

僕はあの事件に関わらず、最近のアカデミー賞のダブル・スタンダード状態には辟易していて、正直あそこで騙られるおべんちゃらを聞いてると体中に虫唾が走る。
かたや「ポリコレ大事やで~みんな差別はあかんで~」って言っておきながら、こうやって差別や嘲笑に苦しむ人たちのことは「冗談だよ~本気にするなよ~」で終わらせようとする。
一体何が本当なのか・・・
それならいっそのこと「ラジー賞」の方がよっぽどストレートで人間らしいとすら感じる。


以前、岡田斗司夫氏がYoutubeの番組で「誰も傷つかない天国には基本的に笑いはない。せいぜいあるのは微笑み程度。それに比べて、誰かの不幸をゲラゲラと笑う地獄は常に笑いに満ちている」みたいなことを言っていました。

「欧米のコメディ」と「日本のお笑い」と間にある差。

「笑い」というものが「おかしな出来事」や「突拍子もないことを言ったりやったりして生まれるもの」であるとしたら、その対象やモデルになった人はもしかしたら傷ついているかもしれない。
それは日本も欧米も変わらないだろう。

でも、日本人の場合「人の不幸」は笑っても「不幸な人」は笑ってはいけないという『不文律』のようなものがある(勿論そうじゃないこともあるけど・・・)。
それに比べて欧米のコメディは「不幸な人」を笑いに変えることで「一緒に笑い飛ばしちゃえ」っていう『優しさ』というスタンスが根底にある(・・・らしい。彼らが言うには・・・)。

これはどっちが正解とか不正解とかそういうことではなく、あくまでも「笑いという文化」の話として。
「笑い飛ばせるくらいの不幸」ならそれでもいいと思うけど、人によっては触れられたくない部分だってもちろんある。
一番大事なのは「俺はこうしてやったんだ!」という押し付けではなく、『時には笑いにならないものもある』ということを理解することじゃないのかな?
それは日本とか欧米とかも関係ないし、本人達の力量の問題でもない。

特に日本人ってそういう「間」とか「空気」とかを察することが比較的得意な文化の中で育っているので、多くを語らずともその『行間』に込められた意図を読み取って察することができる。
アメリカのように「Yes」「No」とはっきり言わなくても、「察する」という能力はきっと日本人が一番だと思うな。
そして、そういった意味ではクリス・ロックは話術はあるのかもしれないけど、他人の気持ちを慮る「配慮」という概念は残念ながら持ち合わせていなかったように感じる。


このお話しに出てくる主人公は吃音で、うまく相手に自分の意図を伝えることが出来ない。
そのせいでお花の配達に遅れそうになってもお客さんに自分が今どういう状況かもうまく伝えられないし、更に故障した車の代車がとんでもないハイスペックな最新型の車で、アクセサリー操作は全て音声認識でしかできない?!っていう追い討ち。
すぐそこまで行きたいのに、彼の言葉をうまく認識できないAIはとんでもないところまでの案内を始めるし、聞きたくもない音楽を流し始めるし、それもこれも彼がうまく伝えられないから・・・っていうお話。

確かにドタバタコメディのようなテンポで進むので、物語的には決して暗くもネガティブでもない。
ないんだけど、この主人公の追い込まれ方をみて素直に笑えないと感じてしまったんですよね。

じゃあ、その「笑えないコメディ」をどう解釈すればいいのか・・・?

きっと、この作品には「悪意」はなかったと思うんですね。
主人公も自分からこの仕事を選んでいるし、連絡手段もあえてメールではなく電話を使っているし、カーナビに対しても彼は一生懸命(ちょっと怒鳴りながらも)言葉で意思表示を試みているんですね。
でも、なかなか伝わらない。

ここで彼が全てを諦めて自暴自棄になって・・・という展開になっていたら、逆に僕は「地獄のお笑い」として受け取っていたかもしれない。

でも、そうじゃなく彼は最後まで「言葉」によるコミュニケーションに拘りました。
どんなに言葉に詰まろうとも、どんなに怪訝な顔をされようとも、最後まで彼は自分の言葉で伝えることを選んだのです。
そして、彼の一生懸命さをキチンと受け止めてくれる人もいました。

そして、その光景を見て初めて僕は「笑顔」になれた気がしました。
ホッとしたっていう感覚にも似ているかもしれない。
それは「笑わせる」でも「笑われる」でもなく、「笑顔になれる」という意味での笑いかな。

吃音の方たちはうまく話すことができない。
僕はうまく泳ぐことができない。
どちらも「得意、不得意」ってだけのことなんじゃないのかな?

そして、それがたまたま「発語」というものがみんなの目に止まったってだけのことなのかもしれない。
いつか、泳げない僕も何らかのマイノリティとして差別を受ける可能性だってなくはないのかもしれないな・・・。


無一郎の「無」は、無限の「無」。
ポチ
3.3
吃音症のお花屋さん✩.*˚
花への愛は確かなのに、それをすんなり配達するには障害ばかり。。。

仕事の電話が来ても上手く対応出来ず……
車が故障しても意思が伝えられず……
最新の車とは相性が良くないっ!!

だけど、彼自身は素晴らしい人✨️
ラストはなんだかほっとすらしたよ( ¨̮ )♡