このレビューはネタバレを含みます
私の身体はわたしのもの
あまりの衝撃に映画館の席をを立てずにいました。圧巻です。
どうかしてるぜ、ヨルゴス・ランティモス。キレッキレやん。
いびつ
映画前半を一言で表すとしたら、「いびつ」です。ベラの出生も然り、ベラがまだ閉じ込められているシーンにおいて、白黒で、魚眼レンズのようなゆがんだカメラ、ローアングル、不協和音・・・。
さらにマスターベーションやセックスシーンなど動物的描写の数々・・・。なんだこりゃ。これはすごい映画だと。
ベラは驚異的な速度で学習する。すると映像はカラーになり、カメラも安定する。知性でダンカンを置き去りにしていくところは見ていて気持ちがいい。
自立、自我
娼婦の館あたりから、彼女は人間としてだけでなく、「生物学上女性」である自分としての在り方を見つめなおす。
「女性が選んだらどうかしら?」は娼婦の館では却下されたが、人間観察による世界の学習、クイズを出して楽しもうとするなど、あくまで主体的に、男性とは対等に学ぼうとする。
落ちぶれていくダンカンとの対比は見ものだが、ここまでくると、ベラと私たち観客と、一体どちらが「哀れなるものたち」なのかわからない。
俺たち、この娼婦の館のしょうもない男客たちと何か違うか?
マックスと結婚を決める森の中の散歩シーンは、今までの話の展開が嘘のように落ち着きをみせる。この映画の最も素敵なシーンのひとつ。
自分
最後、元夫がヤギになっていたのはカタルシスであり、ベラは自分らしく生きることができたかのようだが、好きなものを箱庭に集めたような幸せはどこか首をかしげたくなる。単なるフェミニズム映画とは一線を画す。最終的には、モンスターと罵った愛するゴッドとマックスと同じ道を辿るからだ。
スチームパンク的世界観を創出したスタッフ勢は素晴らしいし、衣装、メイク、音楽、どれも良い。
何よりも、エマストーン。これは主演女優賞だろ。体当たりの演技もそうだが、最後の知性あふれる佇まいは、知性が溢れ雄弁でさえあった。