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哀れなるものたちのOotzcaのレビュー・感想・評価

哀れなるものたち(2023年製作の映画)
4.8
ヨルゴス・ランティモス版『シェイプ・オブ・ウォーター』とも言えなくもない、ランティモスのフィルモグラフィで最もエンターテインメント作品としての完成度とヨルゴス・ランティモス作品としての強度と純度が高い傑作

成長と性徴、あるいは、囚われていた生と性の呪縛からの解放について、ベラという一人の(独りの)女性の人生を通して描いた物語

まず冒頭、ここにはこの世に生を受けた喜びがない

あるのは、自分の意思とは関係無く産み落とされてしまった者の哀しみと、自らの生に対する驚きと戸惑い、そして生命に関する無関心とも呼べるほどの純粋さ、それと対である表裏の残酷さ

ベラは恐ろしく純粋無垢であるが故、痛みを知らないと同時に生に対する喜びを知らない

だが知を得ていく度にベラは成長を重ね、ある時、遂に生の喜びを知る

その瞬間は、性の悦びに目覚めた瞬間でもある

生の喜びと性の悦びを知ったベラは、欲望のまま快楽を求めるかのように、他者からの愛を受け容れていく

他者からの愛により自我に気付いたベラは、肉体を開放しながら自己も世界に向けて解放していきたいと感じるようになっていき、世界を発見していく過程で、この世界の残酷な現実を目の当たりにし、自分の無力さと胸が張り裂けて心臓が口から飛び出してしまいそうなほどの痛みを知ることになり、信じてきた神の存在を全否定されてしまうような衝撃を受ける

確かにこの世界は純粋無垢なまま生命の大海を泳ぎきるには、あまりに冷たく残酷で無慈悲だ

しかし、ベラがこの冷酷非情な世界を見つめた時、それまで探し続けても見つからなかった自己を獲得することになる

自己を獲得したベラは、自然と自らが背負わされた性にも向き合っていく事になるが、ベラはその自らの性を自己実現の為に利用していく賢さと強さを持つ

物語は思春期の終わりと生と性の呪縛からの解放を告げるように、(心理的な意味においての)親殺しで終盤へ向かう

ヨルゴス・ランティモスが生と性についての映画を寓話的な手法を用いて撮るのは、これまで通りなので、そこに新鮮さや驚きは無かったけれども、これまでの作品より大幅に予算があったのだろう、より映像としてランティモスの世界観が具体的に提示されることで説得力が増したし、この物語のように、寓話でありながら今ここ私の生きる世界のリアルな話であることを、ダークファンタジー風味のおとぎ話のような世界を敢えて作為的に嘘臭く作り上げることで、逆に強く訴えることにも成功している

エマ・ストーンが段々と知識を獲て心を開き自分自身を発見していく姿を見事に演じ切っている

なぜだかエマ・ストーン演じるベラが、僕の大好きなビョークと凄く重なって見えたのは、気の所為じゃなく、ビョークがそういう人だからなんだろうな

全く退屈することない素晴らしい映画だったので、せめてPG12にすることが出来なかったか
中学生や高校生ほど観れば沢山の発見がある映画なのにとも思った
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