Ootzca

ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー:VOLUME 3のOotzcaのレビュー・感想・評価

4.8
最高!2023年は、もういいや

ザ・ブルーハーツの"終わらない歌"の実写版

全てのフリークスとナードに捧げる、こぼれ落ちてしまった人たちのための讃美歌

キモくてグロくてポップでキャッチーなジェームズ・ガン節全開

シナリオについてはドストレートな物語で目新しさは無いかも知れないし、擦られ倒したテーマかも知れないが、これを2023年の現在になって、詰め甘いとか考えが浅過ぎるという指摘は、最もらしくも思えるけれど、それは今だに90年代以降のサブカル糞根性的視点でしか物事を捉えられていないからじゃない?

本作のアクションシーンは、クエンティン・タランティーノが引き継いだマカロニ・ウェスタンとヤクザ映画からの要素や、『ジョン・ウィック』シリーズが開拓したガンフーを更にアップデートしたものだし、ウィリアム・フリードキンやポール・ヴァーホーヴェンの暴力映画をYoutubeやtiktok後の感性で仕上げたもの

ジェームズ・ガンが悪趣味だという指摘は、何を今さらという話だし、それは1作目の時点で判っていたことだからね

話が逸れたけども、このストーリーを単純なお涙頂戴の週刊少年ジャンプ系として片付ける、シニカルでシニシズムに浸った感性こそ、現在に即したものとは思えないし、あまりにも短絡的で映画としての芸術性が足りないというのなら、ずっとゴダールやトリュフォー拝んでいれば良いわけだし、現実的でないとか細やかな配慮に欠けるという人はミニシアターで《良質な》日本映画観て、悦に入ってカフェでシネフィル気取りで映画論を垂れ流してください

どうあっても批判に晒されることは、ジェームズ・ガンも予め解っていたはず

それでも彼は、この物語を描かずには居られなかったし、この物語を描く必然が彼にはあった

何故なら、ここで描かれる救済と赦しの物語は、他ならぬジェームズ・ガンが渇望していたものだからだ

だから、この物語は、宇宙規模で展開される極めて私的なものになっている

なので、彼は誰ひとりとして置き去りにはしない、誰ひとりとして仲間外れにはしないと言いながら、結果、無駄に大量な殺戮戦を繰り広げる

スティーブン・スピルバーグが『プライベート・ライアン』冒頭で繰り広げた映画史に残る圧巻の戦争シーン

あそこでは、それぞれの背景は語られること無く、あまりにも多くの命が失われるのだ、たった一人の物語のために

何の話だっけ?

嗚呼そう、『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー vol.3』が最高だって話

なぜ本作が泣けるのか、なぜ本作が刺さるのかといえば、これは皆に向けられた作品ではなく、ジェームズ・ガン自身が自分の為に作った映画だから

このスクリーンに映っているのは、弱くて醜いあなたではなく、他の誰でもないジェームズ・ガンなのだ

それが実に揺さぶってくる

ジェームズ・ガンはオタクだ
ジェームズ・ガンは悪趣味だ
ジェームズ・ガンは能無しだ

だが

これこそジェームズ・ガンだ

一部の映画通や見識高い人々にとって、ジェームズ・ガンはそのような存在であって、特別な映画監督といった存在ではない

しかし、この映画を観る人の大半は、何も持たざる市井の人々だ

ジェームズ・ガンは、ガーディアンズ・オブ・ギャラクシーの面々それぞれの物語を通して、スクリーンの前のキミも、この映画の主人公なのだと語り掛けてくる

この広大な宇宙で、その中の地球という小さな惑星で、たった独りぼっちのキミは、誰よりも尊く、何ひとつ間違ってなんかいやしない、だから涙が地面に落ちるより速く走り続けろ

今は、社会の枠組みの中で、キミはとても無力で、とてもちっぽけで、居場所も無くて、孤独から逃げ出したいと思っているかも知れないけれど、きっといつかキミを、世界にたった一人のキミを必要としてくれる誰かが現れる日が、きっと来る、誰だろうジェームズ・ガン本人がそうだったように

細かいメッセージ性や、娯楽作品としてのエンタメ性とサービス精神に溢れた、かなり様々な要素が詰め込まれた作品ではあるし、ややもすれば散漫とも解釈出来なくないが、全てが在るべきところにキチンと帰結していった物語の終わり方は、これ以上もこれ以下も無かっただろう

それよりも、ジェームズ・ガンが、どんなに無様で間抜けで落ちこぼれなキミだったとしても、この絶望的な世界をサヴァイブして生き抜いて行き着いた所には希望が必ず待っている、だから、みっともなくても、生きろ、と強く言い放つ姿は、あまりにも切なく、心強く、圧倒的な説得力を持って、心に響くから、僕は本作を観ながら、泣いた

かっこ悪いことは、なんてかっこいいのだろう

みんな、生きてこそだよ
Ootzca

Ootzca