面白いとか楽しいとかいう尺度ではなく、これは映画を観る行為とは、即ち映画体験とはそもそもどのようなことであったのかを再確認させてくれるという意味においても、単純に映像と物語が美しいという点においても、とても良く出来た作品
映画に限らず、音楽でも小説でも絵画でも洋服でも、アートが完成するのは、受け手による解釈が加わった瞬間
今作『ファースト・カウ』がもたらす映画体験とはつまり、行間や余白に観客は何を感じ何を思い描くのかということ
物語はシンプル
1950年代のオレゴンを舞台に、偶然出会った二人の男が一攫千金を共に目指す友情物語
予算もかなり低予算だと思われるが、セットや衣装がいちいち洒落ていて、細部までのこだわりを強く感じさせる
感心したのは、独特で絶妙な"間"の取り方
観客が、思考を放棄しようかとする絶妙なタイミングで、適切な台詞が入ったり、印象的なカットが挿入されたりする
全体的に地味なトーンで物語は進んで行くが、観客がダレそうになるのを見計らったように、物語が展開する
序盤から徐々にゆっくりと物語は変容し続け、平坦で静かな映画かと思わせながら、しっかりと起承転結があり、いつの間にかスクリーンの中の世界に惹き込まれてゆく
随所に美しく示唆的なカットが映し出される
ラストについては、僕はとても良い終わり方だと思う
一から十まで、至れり尽くせり、全てを説明してくれるような映画が多いなと感じる昨今
誰でもわかりやすく、伝わりやすく、みんなが同じような感想を抱く
映画が家族で楽しめる娯楽である、という観点からすれば、それは大正解だと思うけれど、映画もアート表現の中の一つであるとすれば、受け手側の思索が入り込む余地のないものは、非映画的な表現であるとも言えるのではないか
ケリー・ライカートが提供する映画体験とは、観客に能動的に映画を巡るいくつかの考察をさせて、作品への参加を促し、それによって、様々な解釈の形で映画を完成させることであり、『ファースト・カウ』のような良く出来た物語でさえ、最後の仕上げは観客の見方に委ねられるという、まさにアートとしての映画体験に他ならない
『ファースト・カウ』の物語自体は、非常にシンプルなので決して難解な映画ではないし、娯楽としての映画としても充分に楽しむことも可能ではある
が、観客それぞれが、それぞれの想像力を使って、その数だけのこの物語の結末を持てるようにも作られており、それを僕は非常に映画的であると感じる
今や公開から数ヶ月待てば、配信で自宅で観たい映画を観たいだけ楽しめる時代
ネットを検索すれば、ネタバレも色んな考察も読める時代
だからこそ、この『ファースト・カウ』のように、2時間の決して短くはない時間、わざわざお金を払って、暗い映画館に拘束され、スクリーンをジッと見つめながら、目の前で展開する美しい映像と多くの余白を残した物語について、あれこれと思考を巡らせるような作品こそ、映画館で観るべきだと思うし、それこそが映画体験と呼べるものだと感じる