ヨーク

グレースのヨークのレビュー・感想・評価

グレース(2023年製作の映画)
4.4
本作を語る上でまず絶対に外せないことといえば、この『グレース』という映画は2023年のロシア映画である、ということだろう。ロシアによるウクライナ侵攻が始まったのが、まだ記憶に新しいながらもうすぐ3年も経ってしまうのかと愕然とする2022年の2月末であるので、本作は企画自体がいつ頃なのかとかは不明なのだがおそらく撮影や編集作業は戦時下で行われた映画であろうと思われる。
その戦争の渦中、現在進行形でいわゆる西側諸国内に於いてロシアという国は日に日に親しみや求心力を失っていって漠然とした敵としてのイメージが強くなっていっているような気がするが、経済的な面ではもちろん文化的な面でもその傾向は強くあるようで、なんでも23年のカンヌ国際映画祭で上映されたロシア映画はこの『グレース』一本だけだったのだという。ま、戦争というものはあらゆる階層での断絶を生むので悲しいけれどそうなるのも仕方ないなー、と思いつつも本作が広く紹介されて日本でも公開されたというのは実に喜ばしいことだと思う。俺自身、ウクライナ侵攻のみならず、ここ四半世紀にわたるプーチン政権下のロシアに関してはよく思わない部分もあるが本作にのみ言うならば素晴らしい傑作だと言うほかない。しかもイリヤ・ポヴォロツキーは30代半ばの若さで本作が長編劇映画デビューだというのだから大したものである。
映画の内容は一言で言えばロードムービーである。ロシアの南部から北部に向かって母親を亡くした少女とその父親がボロボロのバンで映画の移動上映(おそらく違法上映)で日銭を稼ぎながら旅を続けるというもの。正直それだけの映画である。だがそれだけのことがこの上なく心に刺さる映画であった。
まずこの映画で素晴らしいのは風景である。メインの父娘の描写以上に二人がボロボロのバンで旅をするロシアのクソ田舎の荒涼とした大地とそこに暮らしている人々の風景が素晴らしい。予告編では初期のヴィム・ヴェンダースが引き合いに出されていたがそれも分からなくはない。というのも本作の風景というのは身も蓋もない現実感と同時にどこか幻想的とすら思えるような印象を抱かせるからだ。
それはロシアの田舎はもう限界ですよと語るロードムービーとして秀逸であると同時に、そこに立ち上る現ロシアを想起させる行き詰った空気感とその輪郭が、神話的かつ黙示録的な風景としても現出しているのである。リアルでもありファンタジックでもあるという背反する感覚を同時に受ける風景が描かれているのがまず凄い。その景色というのは歴史上何度も衝突を繰り返してきたヨーロッパとの境ではなくて、やや深いロシアの周縁部の景色であるのだろうが、しかしそれはリアルなロシアの田舎そのものなのであろう。
そして風景と同じく重層的に描かれるものとして主人公である10代半ばか後半くらいの少女像というのも凄く良かった。リアルかつ幻想的な風景と共に描かれる彼女の姿というのもまた、少女という対象へのリアルさと幻想が入り混じったものになっているのである。神秘的で近寄りがたい聖性を持った幻想としての少女の面がありながらも、年齢相応に父親に対する反発心を持ってこんなクソみたいな放浪生活から抜け出してやると思っている普遍的な思春期の少女としても描かれているのがとてもグッとくるんですよね。そこにある名状しがたい怒りや暴力性も生々しく、時に詩的に描かれる。
その少女がめちゃくちゃ退屈そうに野外での映画上映やDVDに焼いたエロ動画で日銭を稼ぎながら、ふと対峙した風景に心奪われてポラロイドカメラのシャッターを切ったりするのだが、その積み重ねの果てにどこにも行き場がなくどうしようもない不条理な世界の中で模索している思春期が終わりを迎えるときに、どうしようもない不条理な世界の中だけど行き場所は自分で決めようと至るまでになるのである。それがまた本作で描かれる風景と同じく、リアルで生々しい少女の成長でありつつもどこか神話性を帯びた普遍的な親を越える物語になっているのである。
これは凄いですよ。世界の中心から疎外された辺縁の地で、しかしそこには何処にあっても変わらない一人の少女の現実が圧倒的な美しさと停滞の中で描かれてそれが一人一人の観客、すなわち“私”という世界の中心の壇上へと一個の物語を置いていくのである。これはカンヌじゃなくても評価するしかないでしょって感じですよ。
世界の傍流にして本流。隅っこにして中心。現実であり神話。それらが全て高いレベルで流れゆくロードムービーとして一人の少女の物語として語られるのである。それらが一点に凝縮されるラストシーンは凄かった。あんなにグッと来たラストは久々。詩情と激情が同居していてクラっときてしまった。
とにかく素晴らしい映画でしたね。好き嫌いはあろうがこりゃとりあえず観ときなよって感じです。しかし凄い映画だと思うが、劇伴がほぼなくてとても静かな映画なので眠気も凄い映画でしたけどね!
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