犬たろ

ポッド・ジェネレーションの犬たろのネタバレレビュー・内容・結末

ポッド・ジェネレーション(2023年製作の映画)
4.9

このレビューはネタバレを含みます

海を眺めたとき、波音に包まれたとき、自然と心安らぐのは、何故だろうか。

時を忘れ、無心となり、水面の揺めきや煌めきをただひたすら見つめるだけで、まるで宙に浮くかの如く身も心も軽くなるのは、何故だろうか。

この世に生を享け、産声をあげる前、その頃を覚えている人はいるだろうか。

母のポッド(子宮)のなかで、羊水に守られながら過ごした十月十日は、決して短くはない。

雌と雄、もとい女と男の生殖器は交わり、ひとつの卵子はひとつの精子を受け入れた後、それは胎児となる。

性教育に疎い私でさえもそれは知っている。妊娠三ヶ月、胎児は爬虫類から両生類へと変貌を遂げたかと思えば、妊娠四ヶ月を過ぎたあたりから、霊長類のそれに様変わりする。

とどのつまり、胎児は母のポッドのなかで、十月十日を経て、人類の進化の過程を体現するのだ。

これを奇跡と言わずして何と言おうか──。



多様性が認められつつある昨今。さらに時を経て、科学の進歩が人類を生きやすい明日へと導く近未来では、“愛のカタチ”も各々で異なるものとなる。

妊娠するにあたり、男女の生殖器を結合するしないも選択肢のひとつでしかなく、妊娠における性交の必要性はなくなる。

採取した精子と卵子を人工的に交え、まるで芸術鑑賞するかの如くそれらが受精する瞬間を、固唾を呑んで見守るひとときを過ごすことになる。

その様子が映し出された画面の前、カウンセラーの実況解説を受けながら歓喜する男女は、未来の夫婦の新たなる“愛のカタチ”を表す。

今の私からすれば、時間も空間も消え去るような至高のセックスないし渾身のエクスタシーを経てそこに辿り着きたい思考であるが故に、今作の“愛のカタチ”にはどこか物悲しさを覚えてしまうが、命を宿すそれそのものは素晴らしいことに変わりなく、実に微笑ましい瞬間だといえる。

独身の私にも父性があるのだろうか。電車やエスカレーター等で赤子や幼児にじっと見つめられ、ひとたび微笑みかけられれば、生きる上で何かと付き纏う憂いや煩悩が瞬く間に晴れて、いつしか微笑み返している自分自身にふと気づくと同時に、自然と癒されているそれは不思議でしょうがない。

男が腕力を身につけやすい体質であるのは、何故だろうか。狩りないし闘いに備えるためだけにそれがあるとするならば、もったいないと言わざるを得ない。

この世に生を享けた子が、自らの意思や力で立ち上がれるようになるまでは、男が持つ腕力で抱きかかえて幼い命を育んでいたいと、育児経験のない私が思うのは、身の程知らず故なのだろうか──。



作中、男は当初、ポッドの存在に懐疑的だった。自然の成り行きに任せたい、それこそ生命が辿るべき本来の“愛のカタチ”だと信じて疑わず、愛する妻の説得を受けて仕方なしに人工知能のカウンセラーと対峙すれば、知った風に講釈を垂れるそれに苛立ちを一切隠さず、牙を剥き喧嘩を売る始末。

それを見て私は、スクリーンの前で「いいぞ!もっと言ってやれ!男には男の葛藤があるぞ!お前に何がわかるってんだ、バーカ!」と思っていたが、彼がポッドを手にしてからの手のひら返しが、あまりにも呆気なく、愛おしいほど滑稽だった。

彼が再び人工知能のカウンセラーと対峙する頃には、安寧の地を見つけたかの如く心穏やかな姿になっていた。

顔つきが、父親になると決まる前と後ではまるで違った。以前は何かにつけて眉間に皺を寄せることが多かった彼だが、いつしか穏やかな心持ちになり、表情はもとより口調や声色、言葉づかいまでもがやわらかくなった。

試行錯誤しながらもベルトを体に巻きつけ、ポッドを抱えた瞬間、思わず小躍りする彼を見た私は、できることなら今すぐスクリーンのなかに飛び込み、共に小躍りして喜びを分かち合いたい思いに駆られた。

それからというもの、彼は肌身離さずポッドを抱え、朗らかな思いのまま、これまで以上に仕事を愛し、精を出す。もしこれが未来の男における本懐のひとつであるならば、これほど微笑ましいことはないだろう。

出産すること叶わない男に、その瞬間が訪れる。

部屋が薄らと明るくなってきた朝方、陣痛、もといポッドのアラームが鳴り止まない。

男はベッドから飛び起き、ついに来たかと慌てふためきながらポッドを持ち上げるものの、どうすればいいのかわからず右往左往するが、えいやと意を決した。

渾身の力で一心不乱にポッドを破ろうとする男の躍起な姿を見届ければ、スクリーンの前で静座して見守るしかできない私は、いつしか顔の前で手のひらを合わせて無事を祈っていた。

「がんばれ!もう少しで会えるぞ!がんばれ!」

上蓋を取り外し、男の腕力に物を言わせれば、ポッドは見事に真っ二つに破壊された。羊水で濡れた赤子を抱きかかえ、包み込むように夫婦が抱擁する姿は、感動せずにはいられない。

こんにちは、赤ちゃん。あなたの未来に、この幸福が、パパの希望よ。ふたりだけの愛のしるし。すこやかに美しく、育てといのる。

p.s.

妊娠や育児経験がない故に、知らないこと、知りたいことばかりが山のように浮かんでくる、今作の存在意義に感謝する。
犬たろ

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