芋けんぴ

月の芋けんぴのレビュー・感想・評価

(2023年製作の映画)
5.0
ちょーっとなかなかしんどい映画を観た。

何がしんどいかって、下手な感想はすべて劇中の「さとくん」によって反論し尽くされているから。退路ないと言ってもいい。

そこまで言ってしまうの?という公の場ではタブーとなっている問題に対し、本音を吐露し尽くすばかりか、それに決死に「法治社会、人権社会で生きる上で、そう落とし込んで拒絶するしかないじゃないか!」という綺麗事まで、心の声で完膚なきまでに叩き折られる。

もうそこまでされると、この映画。役者の話しかできない。

特に二階堂ふみがスゴイ。観ながら心の中で宮沢りえのキャラに対して「嫌な予感がしても、そのまま家にいて。お願い、家から出ないで」と懇願していたら、二階堂ふみが彼女の身代わりかのように酷い現実を——そう、嘘偽りのない現実を負わされ羽目になる。

彼女は確かに不安定。デリカシーがない。彼女の「ネタの宝庫ですよね」て言葉にその場限りの同意をしておけばよかった宮沢りえもたいがい空気読めないが、彼女はちょっと病的。文字通り病んでる。

病んでる、というのは決して歪んでいるということではない。純粋なのだ。真っ直ぐだから、流れに形を変えられないから、すべてを真正面に受け止めて、消耗してしまう。

本作において、「普通の人」は実はあの職員コンビかもしれない。やってることは酷いが、彼らは根から酷いわけではない。順応してるだけ。適度に流れに応じて形を変えて、心身のダメージを和らげてるだけ。

だから、退院したさとくんに遭遇したあと「あいつも絵やめずに教師にでもなってたら良かったのに」と漏らす。

教師にでも、なんて相手の人格を程度評価してなければ言えないし、彼らは彼らなりに邪険にしていたがそれは施設に「合わない」同僚の存在を疎ましく思って、排除しようとしてただけで根からのクズではない。

根からのクズはオダジョーの同僚だ。俺はあの手の「何もせず、挑戦もせず、人を腐して自尊心を保とう」とするクズが嫌いだ。お亡くなりになればいいとは思わないが、あいつが「クソだ」と切り捨てるすべてがあいつの目の前で片っ端から花咲けばいいと心から願う。

宮沢りえ演じるヨウコさんは、さとくんみたいな言種で嫌だけど、少し自分に重なる部分があった。

昔、小説家だったって部分だけだけど。

今、自分は39歳で独身。恋人もいない。
たびたび、こんな歳で相手をみつけても、こちらの欠陥でハンデを負った子が産まれたらどうしよう、と考えることがある。

自分に限って、ということが起きやすい体質だから。

だから、結婚や子供を持つことをどうしても前向きに捉えることができない。それならば、厳しい審査を受ける必要はあるが親のいない子を引き取る方が「生産的」なのでは、と思ってしまうことも。

ここまで「綺麗ごとを言っちゃおしまいよ」という映画も珍しいから、包み隠さず書くが僕だってそれくらいのことは考える。冷たい人間だな、と思う。どこまで僕らは本気でさとくんを拒絶できるのだろうか。


というか、僕らのいわゆる「倫理観」は法律を支えにしてる部分も大きいように思う。法律が禁じてるから、その命を尊重に扱うよう謳ってるから僕らは障害者を人として扱い、あらゆる言論もそれを前提として発せられている。

一方で、死刑については認められてるから僕らは死刑囚の人権を僕らのそれとは切り離して考えてしまっている。

大麻もそう。法律がダメだと言ってるから、それに沿う倫理を形成して世の中を生きてる。

ということは、

法律が障害者を人として扱わなくなったら、当事者ではない大半の人々の倫理観もまた変わってしまうのか。

当然、そういうことになるだろう。

別にアナーキズムが良いとは絶対思わないし、法律とは人間が最低限安全に暮らすために作られた強固な物語であるから絶対必要だと信じてる。でも、やっぱりそれはサピエンス全史で言われてるように「共有された物語」でしかなくつ、物語は文明社会の都合でいくらでも書き換えは可能なのだ。倫理観も、所詮は物語だ。神をいただかない変幻自在の信仰だ。僕らの正義感とか倫理観なんていうのは、それくらいいい加減で都合のいいものだということは心得ていたほうがいいかもしれない。
芋けんぴ

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