ラウぺ

落下の解剖学のラウぺのレビュー・感想・評価

落下の解剖学(2023年製作の映画)
4.2
フランスの山間部にある山荘で暮らす作家のサンドラ(ザンドラ・ヒュラー)はフランス人の夫のサミュエルと11歳になる息子のダニエルがいた。サンドラにインタビューをしにきた学生がインタビューを始めると、上階の屋根裏で工事をしているサミュエルが音楽を大音響で流しはじめた。インタビューを途中で切り上げ、学生が麓に帰っていき、ダニエルは犬のスヌープと一緒に散歩に出かける。サンドラはちょっとした仕事を仕上げてから午睡に入った。散歩から帰ったダニエルはスヌープが駆け寄る先にサミュエルが頭から血を流して倒れているのを発見した・・・

山中の一軒家で家人が留守の間に夫婦のみ、夫が転落死を遂げ、死因も定かでない中で、疑惑の目は妻に向けられる。
サミュエルの死から警察の到着、死因の謎からサンドラへの疑惑に弁護士のヴィンセントの登場、物語は駆け足に進み、本編のメインはサンドラの裁判の模様に移る。
法廷ものにありがちな、当初は分からなかった新たな事実が発覚し裁判の行方が二転三転する、といった映画ではなく、裁判で明らかになっていくのは、夫婦の間にある深刻な不和の原因。
サンドラは作家として成功し、サミュエルは作家になる夢を実現できていない。
ダニエルが事故で視力を殆ど失ったことについて負い目があり、実質的に“主夫”の生活に甘んじているらしいことが次第に明らかになっていく。

152分という長尺の大半を裁判の場面に費やしているわけですが、裁判の目的はサミュエルの死の真相を究明するということにあるのではなくて、サンドラがサミュエルの死に関わったかどうか、にある。
なので、普通の法廷劇を想像して観に行くと、予想と違う展開に肩透かしを食らうかと思いますが、この映画で浮き彫りにされるのは、裁判を通して夫婦のそれぞれが感じている認識のズレやお互いに期待しているものの違い、といったところ。
夫婦といえども、それぞれの背負ってきたバックグラウンドや仕事や家事への意識といった点が異なるのは当然のことで、サミュエルの死を契機に、それまでの長い間に醸成されてきたお互いのギャップが、裁判という形で顕在化していくところが本作の大きなテーマとなっているのです。
それに関わる部分では他の映画では見られないような、丁寧かつ執拗といってよいまでに問題点を浮き彫りにする証言を描写していきます。
法廷での証言の場面は、基本的に再現映像を使わず、証人と検察・弁護人の質問に終始して描写していきます。
こうすることで、観客は証言の内容を聞きつつ、事実として何が起きていたのかを陪審員になったかのごとく、その都度判断していかなければならない。
こうした手法の中で、ほぼ唯一の例外が、夫婦喧嘩の場面の音声。
音声が記録されていた、ということで法廷でそれを流しつつ、その場面のみが、再現映像となるのですが、もっとも肝心なところになると、場面は法廷に戻り、やはり音声のみでそのとき何が起きていたのか聞き耳を立てることになる。

こうした普通の裁判劇のお作法に従わずに、裁判で明らかにされようとしている問題に観客を釘付けにする展開の妙味が素晴らしいのは、本作がアカデミー賞の脚本賞を受賞していることからも明らかだと思います。

映画は夫婦のそれぞれの立場の違い、見ていた世界の違いを明らかにし、それを提示することで裁判の行方を決定づけるということをせずに、裁判で明らかになる“事実”には自ずと限界があることを明らかにしていく。
サミュエルの死の理由を裏付ける決定的な証拠がないなかで、裁判ではそれぞれの心の動きを明らかにしつつ、それがサミュエルの死にどう関わったかを、推論していかなければならない。
映画はその点を明示しつつ、ではサンドラの有罪・無罪をどう導き出すのか、というところを問題にしていきます。
それによって導き出される判決は・・・というと、物語はそこのところにはまったく大きなウェイトを置いていません。
そこに至るまでに明らかにされてきた夫婦の立場の違い、それに関わるダニエルの想い、三者三様の家族の想いの積み重ねが招いた(かもしれない)悲劇を描くことで、この家族の姿を明らかにしていく、という映画の目的からは、裁判の結果なぞ、些末な問題に過ぎない、という監督の明確な意思表示なのだと思います。
その証として、さりげない描写ながらエピローグは非常にゆっくりと、丁寧に描いていきます。
そのなかで、裁判で出された結論に対し、“事実”の別の可能性さえある、という余白を残すエンディングは、サンドラとサミュエルが長い間夫婦として暮らしながら大きなギャップを生んでいた、という難しい問題に対して、事実の見え方は正しいと思われる一つとは限らない、という点を観客に念押ししているかのようにも見えるのです。

淡々としてさりげない描写の奥に潜む、さまざまな問題提起の滲む物語の多義性を描き出す巧みさに舌を巻きつつ、家族の在り方とはなんなのだろう、と帰る道すがら反芻することになるのでした。
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