deenity

市子のdeenityのレビュー・感想・評価

市子(2023年製作の映画)
4.7
主演の杉咲花ちゃんが日本アカデミー賞では主演女優賞でノミネートされていましたが、正直これ受賞は花ちゃんでよかったんじゃないかな、と思えてしまいますね。いや、別に『怪物』の安藤サクラがダメだったわけじゃなくて、W受賞ってなるくらいならせめて主演くらいは、と思ってしまいたくなるほど圧巻の演技力でした。

内容に触れるとネタバレになってしまうのでまだ鑑賞されてない場合はご注意していただけたらと思いますが、恐らく一度目と二度目では鑑賞の仕方がまるで変わってくるような気がするので、個人的には中身を知らずに見るのと知った上で見るのと両パターンの鑑賞がおすすめです。少なくとも二度見ることに耐え得るだけの深みある作品だとは思っています。

主人公である市子という女性を演じたのが花ちゃんで、冒頭彼氏の長谷川を演じた若葉竜也さんからプロポーズをされ、喜びのあまり涙を流すシーンから始まります。
ただ、その後突然彼女は失踪してしまい、長谷川は彼女の行方を探るべく彼女を知る人物から話を聞いて回るのだが、宇野祥平演じる刑事から「市子なんていう女性は存在しない」と言われてしまい、自分が付き合っていた市子とは何者なんだ、というミステリー展開になっています。

類似作品でいうと『ある男』や『さがす』なんかが挙げられますが、本作がテーマにしているものは、実はミステリー展開ながら社会問題を扱った作品だということが見えてくるわけです。

「離婚後300日問題」について、不勉強だったので検索してみたところ、

「離婚後300日問題」とは、母が、元夫との離婚後300日以内に子を出産した場合には、その子は民法上元夫の子と推定されるため、子の血縁上の父と元夫とが異なるときであっても、原則として、元夫を父とする出生の届出以外受理されず、戸籍上も元夫の子として扱われることになるという問題、あるいは、このような戸籍上の扱いを避けるために、母が子の出生の届出をしないことによって、子が戸籍に記載されず無戸籍になっているという問題のことです。

とあり、市子に対する印象がしっくり来る感覚を覚えました。

本作では市子(あるいは月子)と関わったそれぞれの人物の視点から市子という人物像が形成されていきます。
当然異なる主観で見たところで全く同じ人物像が浮かび上がるはずもなく、そのため非常に掴みどころのない市子に対して不安を覚えていくわけです。
特に前半は顕著に描かれていましたね。年下と思えないくらい力が強いとか、家に友達を上げたら追い出されたとか、元彼に対しての性交渉の拒絶とか。それぞれのピースとしてはバラバラで、一見すると扱いづらい人間性に思えてしまいます。

その一方で、市子という人物に対してもの凄く惹かれてしまう部分もあって、それは無戸籍児であったりヤングケアラーであったり性暴力であったり、それら社会問題を抱えた人生を送ることになってしまった出自に関する市子の諦念があって、それに対する同情的な目線もないわけではないですが、そんな中でも普通に生きることを切に願い、些細な生きがいを見つけていく市子の姿についつい惹かれていってしまったのが大きいと思うわけです。

それを表現するにあたって花ちゃんの演技力というのは欠かすことができず、時に感情を押し殺し、時に感情を爆発させる、そんな凄まじいほどの説得力を持った演技力がとにかく素晴らしかったですね。
殊に長谷川と過ごす時間のシーンは短いながらも素敵でしたね。冒頭の婚姻届の場面は言わずもがな、個人的には浴衣を羨ましがる祭りの場面の諦念と願望のジレンマがとてつもなく切なくて胸に刺さりました。

ちなみに花ちゃんだけに限らず、若葉竜也さんも素晴らしかったですね。あのどこか力の抜けた演技はもはやこの人にしか出せない空気感ってものがあると思いますし、市子の母を前にして声を荒げた直後に「すいません」って付け加えるあの感じはめちゃくちゃ好きです。

様々な社会問題の中で、マイノリティの方たちがそれを主張するではなくグッと堪えて生きていかねばならないこの世の中、悲しいかな、ああいう悲劇を生んでしまうこともあるかもしれない。市子は正当防衛とはいえ、過ちを犯してしまった。明確に描かれないまでも、暗示するかのようなロケット花火の場面のノワールさなんかは不気味さを感じながらも市子を思うとやはり悲しかった。
でもその善悪を問うのではなく、そういう不可視化されているマイノリティに目を向け、わからないことをわかろうとする姿勢を持つことが必要なのだと改めて感じさせられました。

童謡「にじ」を鼻歌歌いながら周りを気にせず歩くシーンの平和さが、鑑賞後感として見終えて1日経った今でもまだ抜けません。
deenity

deenity