オープニングからエンディングまで完璧に擬70年代映画のつくりで感心した。それは斜に構えたスタイルを示すものでもキッチュな面白味を出すためのものでもなく、傷みと疲弊と諦念の時代のアメリカや、多く言及されているようにハル・アシュビー作品のような空気をいかんなく伝える屋台骨となっていて、とにかく丁寧で真摯な作品だった。高速ズームアウトや長いクロスディゾルブなども70年代パロディではなく、いい効果となっていた。
招かれたホームパーティでダヴァイン・ジョイ・ランドルフが取り乱しキッチンで泣き崩れるシーンで、ずっとケアをする立場だった彼女が束の間ケアされる側となった。それが他人の家であっても、キッチンは彼女にとって真剣勝負の仕事場であり一人思いを巡らす場でもあり、彼女が主役となり思いを吐露できる場としてそこが選ばれているのだと思った。
ランドルフが妹の住む実家に戻り、窓辺のチェストに息子が赤ちゃんだったころの思い出の品を並べるシーンは薄曇りの光を感じる陰影が素晴らしく、部屋に現れた妹が彼女を抱き寄せるところで涙が出た。
ポール・ジアマティ、ランドルフ、ドミニク・セッサの3人の車中でのアップもよかった。言葉を発さなくても、互いが互いを認めている充足。
若い世代への責任を示すポール・ジアマティの自己犠牲に身が締まる思い。