ヨーク

悪は存在しないのヨークのレビュー・感想・評価

悪は存在しない(2023年製作の映画)
4.0
本作『悪は存在しない』が初濱口竜介なんですが、とりあえずの第一声としては凄く出来が良い映画だと思ったし、まぁ面白かったですよ。素直に面白いとは言わずにまぁ、とか付けちゃう辺りが少し察してほしいところではあるが、いわゆる娯楽映画的な要素が全くと言っていいほどなくて作中の物語というものがラスト10数分くらいまでほとんど何も起こらない(に等しい)ような映画であるにも関わらずに飽きることもなく最後まで観ちゃったのでそこはまぁ面白いと言うしかないだろう。ただ、そこにあるまぁのニュアンスとしては好き嫌いで言えば好きな映画ではないなということはある。そこはまぁ好き嫌いなので仕方なかろう。
好き嫌いと言えば上で濱口竜介作品は本作が初めてと書いたが、アカデミーの外国語映画賞を受賞して大層話題になりミニシアターが中心だったと思うが結構な数の映画館でそこそこのロングランで上映されていた『ドライブ・マイ・カー』は観ていなかったのである。なんだよあれだけ話題になった『ドライブ・マイ・カー』を観てないとかモグリかよと言われても仕方ないが、前作を観なかった理由としては実にシンプルなもので要は村上春樹が好きではなかったからなのです。好きではないというのはかなりマイルドな言い方だが、まぁどっちかというと嫌い寄りに近い作家なので『ドライブ・マイ・カー』は食指が動かなかったということですね。もちろん春樹作品でも好きなのはあるけどそれはこの感想文とは関係ないのでここまでにしておく。んで本作の感想としては村上春樹原作の映画で国際的な高評価を得たというのも納得な感じの映画だったなと思ったんですよ。
とても春樹っぽい。前作は観てないから知らんけど、濱口竜介という人はきっと非常に村上春樹的世界観と思想にフィットする資質を持った映画監督なのだろうと思う。それは端的に言うとリベラルの中に沈む保守とかエントロピーの拡大による越境から背を向けて自己の世界でまとまるオトナといったような手触りなんですよ。俺の感覚的なことなのであまりピンとはこないかもしれないが、要は他者を尊重しながらも自分が自分以外になれるとは信じていないと思うんですよね、村上春樹も濱口竜介も。そりゃまぁ明日目が覚めたら俺がアニャ・テイラー=ジョイになれるのかというとそんなことはないんだけど、でも自分という存在はここまでなのだと決めていたラインから数センチくらいは外に出ることはできるかもしれない。それが積み重なればやがて決定的な境界を越境することができるかもしれないじゃないですか。でもこの映画はそこにあるラインは越えないし、越えることはできないよ、とも言うんですよね。その結論も映画自体の出来としてもとても優等生的でそつはないのだが、そういうものを俺が好きになるかというとそれは“まぁ”違うわけだ。
お話は全然大したことはないし語られるストーリーの面白さもない。何でも長野の山奥でホテル兼キャンプ場みたいな施設が建てられようとしていて、都会住まいのその推進派と地元の反対派の衝突というほどでもないが利害の食い違いが描かれるだけの映画である。そのあらすじを理解したときに俺が最初に想起したのは『もののけ姫』であった。本作はファンタジー要素もアクション性もなく舞台を現代に移した『もののけ姫』と言ってもそれほど的外れではないだろう。だがこの映画は文明と自然の対立というよりかは異なる文明同士の衝突といった風情で、そこがより現代的なテーマだなと思うところでしたね。
一見すると文明と自然の対立のようにも思えるけど、実はそれは違うんですよ。当然だけど本作でホテル兼キャンプ場推進派は山の精霊とかと対立するわけではなく地元の住民と対立するので、それは都会と田舎で住んでる場所こそ違うけど同じ人間同士の、しかし都会と田舎という異なる世界観を持った文明同士の対立なのである。それは作中でも明確に語られていることだが、根本的な種族レベルで別なわけではないし山に生きる者も少なからず自然を破壊しながら生きているのだから両者の利害さえ一致すれば共存はできるだろう、ということでもある。なんだよー、じゃあ相互理解を良しとする希望に溢れるお話しじゃん、と思われるかもしれないが本作を観た人ならばそうではないことは分かるだろう。
俺はあまり映画(映画以外もだが)の感想をネットで漁ったりはしないのだが本作に関してはラストシーンの解釈が議論の中心になっていることは想像に難くない。ネタバレにならないように可能な限り伏せながら書くが、あの突き放したようなラストが何なのかというと、伏線として「鹿は手負いのときでないと人間を襲うことはない」というセリフがあるように本来は人間だって追い詰められないと他者を害さないよという(ぬるい感覚だと思うが)ことでもあるのだ。それはコロナ禍が遠因で本業とはかけ離れた事業をしなければいけなかった都会文明が田舎に進出した動機でもあって『悪は存在しない』という一風変わったタイトルが指し示すところでもあるのだが、実はそのことは都会文明と対立して山と共存しながら自然を守る側であるという立ち位置で描かれる田舎文明も同じことなんですよね。つまり田舎側もそうしないと生き残れないからという理由で山を傷つけていて、そういう意味では山の方から見れば田舎文明だってよそ者であり“文明”であるから“自然”とは共存できないよっていうのがラストシーンだったのだと思うんですよ。
女の子がニット帽を脱いだときに鹿と同じような角が生えていたら結果は違ったかもしれない。そしてそれは根本的に自分と違う他者なのならば絶対に分かり合えないよね、という悲観的で閉じられた場所に行き着いてしまうのだ。本作はその結論にたどり着くまでの道程が非常に高いレベルで描かれていてほとんど完璧に近いほどの端正さを持った映画だと思うが、やっぱり俺は好きにはなれないと思う。だって俺は「オールタイムベストの映画は何ですか?」と聞かれたらノータイムで『8 1/2』と答えるような人間なのだ。調和や端正さなど欠片もない、混沌と混乱と狂騒の祭典のようなものを愛しているのだから、残念ながらこういう映画は好きではないですよ。明日目が覚めたらアニャ・テイラー=ジョイになってたら面白いよなって思う人間なので、まぁ根本的に本作は合わないよなって思いますよ。
でもそれでも個人的な思想や嗜好は抜きにしても非常にレベルの高い映画で『ドライブ・マイ・カー』は未見だけどそれも含めて濱口竜介という監督が世界的に評価されているというのは理解できますよ。めちゃくちゃ計算された長回しとか凄いね。その辺は本当に称賛に価すると思う。全然好きじゃないのに4.0という高スコアなのもそういう部分です。あとヨハン・ヨハンソンぽい感じの劇伴は好みで良かった。映像に合ってるかどうかはともかく好きな感じの音だった。
好きではないけど監督の次回作は観たいなと思いましたね。村上春樹の原作じゃなければな!
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