喜連川風連

デッドデッドデーモンズデデデデデストラクション 前章の喜連川風連のレビュー・感想・評価

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浅野絵が動いとる。。!!!

東京に飛来した謎の円盤と女子高生たちの続く日常。日常は続けど、裏では巨大で大きな問題が何となく進行している。それでも自分たちの日常は続いていて、大衆はただ巻き込まれることしかできない。

円盤をコロナとも、環境問題とも、戦争とも読み替えることができる。

だが、この連載はコロナ前から取り組まれている。凄い。

過去の浅野作品は、ほぼ一貫して日常と身の回りにある違和感を同時に描いてきたと思うが、今回は円盤という社会問題が提起されているのが過去作と決定的に異なる。

緩やかな日常がダラっと続いていく、そして緩やかに死んでいく青春を描いたソラニン。

現代における生の実感と共依存を描いたぷんぷん。

緩やかな日常にぶち込まれた無視できるけど無視できない違和感の象徴が今回の「円盤」だ。

この円盤がコロナと重なって見えて仕方がない。コロナ自体、騒がれる報道の量の減少とマスク着用要請の取り下げによって一気に過去のものになった。

感染者に対しての重症者数は2022年の時点でかなりの水準で低かったにもかかわらず、数値は顧みられず、何となくの報道の空気で物事が決まっていった。

コロナが登場した当初、繰り返された言説は「コロナに打ち勝つ」である。

コロナは人類に対して勝つも負けるもない。ただ、そこにあるのみだ。重症化し、人類が死に絶えるとウイルス自体も存在できる宿主を失ってしまうので、短い期間に進化を繰り返し、今では殺さない距離感のウイルス(風邪化)になった。つまり人類が勝ったわけではない。終息の経緯はスペイン風邪と同じだった。

作中で人類は円盤を敵と認定し、攻撃し、排除する。

円盤は人類社会が異物と対峙した際のメタファーであり、後編ではどういう結論に導かれるのか。

そこに希望はあるのか。反マスク、反ワクチン、マスク賛成、大衆がどれだけ泣こうが叫ぼうが、我々は無作為に巻き込まれ、空気や世論によって物事が決定される。

それでもこの社会を泳ぐためには仲間が必要なのか?守るとはどういうことなのか?続報を待ちたい。
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