エディ

靴みがきのエディのレビュー・感想・評価

靴みがき(1946年製作の映画)
3.3
戦後直後の貧しいイタリアを舞台にして、靴磨きの少年達の馬のオーナーになるという夢とその挫折を描いたネオリアリズムの代表的映画。ネオレアリズムとは、ムソリーニの独裁政治以降に、反ファシスト/レジスタンスの正当化のためにドキュメンタリー的な手法で現実の厳しさを描いた作品のことを言うようだが、靴磨きが馬のオーナーになるという設定や、殺人に走るという極端な転落があまりにも非現実的に思え、売り物のリアリティを感じなかった。
仲良しの靴磨き少年のジュゼッペとパスクアーレは馬を持つのが夢だったのでお金をこつこつ溜めていた。あと少しで念願の馬が買えるとき、チンピラをしているジュゼッペの兄から駄賃仕事で占い師に違法だった米軍払い下げ品を売りに行ったところ、警察を装った兄たちが占い師を襲って大金をせしめてしまった。
口封じで金を貰ったことで念願の馬を買ったは良いけど、占い師から犯行グループと指摘され二人は逮捕され少年鑑別所送りにされしてしまう。二人は別々に尋問を受けたことでパスクアーレがジュゼッペ兄による犯行とばらしてしまったことで二人の友情は壊れ、やがて悲劇に繋がる。。。

ネオレアリズムの傑作「自転車泥棒」と違って、この映画はドキュメンタリー的な手法でドライに描いているもののリアリズムというほどのリアリティを感じない。それは、二人の転落がまるで出来レースのように強引だし、ラストに繋がる悲劇も悲しい結末にすべく無理に脚色したとしか思えないような不自然な流れだからだ。
結局、兄の身代わりで投獄されたような二人なのに、念願の馬が入ったのにジュゼッペが大して仲が良くないちんぴら兄を庇う理由は不明だし、友情に亀裂が入るに至る二人のギクシャクもあまり描かれていない。なので、二人に起きていることを観ていても、二人に同情できないのだ。
登場する人物達の中で、二人だけが不幸の階段を駆け下りていくようになっていくが、これが不運の積み重ねなら同情できるし、自業自得なら突き放すこともできるが、そのどちらでもなく、製作スタッフたちに強引に突き落とされているだけなので、作品にあまり入ることが出来なかった。
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