イスケ

アメリカン・フィクションのイスケのネタバレレビュー・内容・結末

アメリカン・フィクション(2023年製作の映画)
3.8

このレビューはネタバレを含みます

いや、もう映画のタイトルも「Fuck」で良いよw

バカでも分かるように皮肉ったのに、それをますます喜んで採用しちゃう一連のくだりは最高だったな。
一番腹抱えたし、この作品が伝えたいメッセージが、その短い言葉にすべて詰まっているじゃん。


人種の問題が主題であるには違いないのだけれど、個人的には24時間テレビを筆頭とした感動ポルノについて考えさせられる側面の方が強かった。

昔、乙武さんが24時間マラソンに苦言を呈しつつ、「24時間車椅子チャレンジ」というものを提案したことがあったよね。
要は走ることに難の無い人が走っても意味がない。走ることが難しい人にチャレンジしてもらうことに意味がある。そんな趣旨。

もちろん車椅子に乗っている人に「私もやれる!」と勇気を与える側面も持つのだけど、結局のところはそのコンテンツも感動ポルノであることは明白で、乙武さんだって分かった上での主張だったはず。

推測でしかないけれど、彼は感動ポルノとして消費されようが、当事者に勇気を持たせつつ、世の中に向けて身体が不自由な人への視線を忘れないでもらうようアピールしたかったのではないかと。目的のために負の部分も受け入れながら利用する発想とも言えるよね。


閑話休題。

劇中に登場する黒人女性作家のシンタラは、白人が求める黒人像を描くことでベストセラー作家として成功を収めた。
これは人種問題を考えていく上で、是なのか非なのか?

多くの人に問題を思い出してもらい、いくらかの同情を得ることは、真剣に問題を考えさせるためのキッカケとしては必要なことだと思う。
ガンジーの非暴力や不服従だって、大きな目的は世論を動かすことだったわけでね。
多くの人に届けたことで、奴隷のような露骨な差別は時間をかけて減少し、表面上は白人に近い暮らしを手に入れている。

一方で、この方法では本当の意味での平等を手に入れることはできない。

ちょうど今年のアカデミー賞で、ロバート・ダウニー・Jrの振る舞いが注目されている。
あのような潜在的な差別はもはや「知ってもらう」の次元の話ではないのよ。
振る舞いに対して、怒りを表明し続けていかない限り、いつまで経ってもなめられたままで変わることはないでしょう。迎合を超えていかないと。

白人としては、昔のような露骨な差別をせずに「自分は人格者だ」という一定の心地よさを得ながら、他の人種より優位な立場に立てている。この特権を自ら手放せるなら、相当な人格者だ。

現在、特に欧米で蔓延る白人優位を変えるには、シンタラではなくモンクのような気難しい人間、怒る人間が必要なのだと思った。


冒頭で、白人の女子学生が「ニガー」等の差別用語に拒否反応を示す。
この学生は至って純粋に嫌悪感を示しているわけで、責めたくなる気持ちはないのだけど、行き過ぎた反応だとは感じたな。

だって事実を伝えているんだから。
過去のことであれ現在のことであれ、事実を封じてまで過剰に保護しようとすることは、臭いものに蓋をしているのと変わらない。感情的かつ上っ面な反応だと思うんだよね。

まぁ、でもこの時のモンクの態度も大概w
インテリな黒人であるモンクが、南部の黒人の話を教えていること自体がフェイクだもの。

それを「俺はこっち(黒人)側の人間。お前らには分からないだろうが。」というご都合主義な態度でいるのを見て、
「モンクが白人だったらきっと黒人に寄り添うのではなく、白人らしい振る舞いをするんだろうなぁ……」とは思った。

彼が演じたステレオタイプの黒人「スタッグ・R・リー」に対しても、「ラップ好きだけど犯罪なんてしねーわ。決めつけんな。」と思う人間もたくさんいるだろう。


どんな人種であれ、全員違う。
黒人は「國民の創生」で描かれたような悪ではないが、天使でもない。
現状を打破するには、モンクのような簡単に迎合しない人間も必要だけど、彼自身ですら黒人に対する偏見を持っているし、都合よく黒人であることを利用している。

でも偏見やご都合なんて、どの人種だって普通にあることでしょ?

黒人だけが(比喩的な意味も含め)銃殺される社会が歪なだけだよ。


人種差別であっても車椅子であっても、良い方にも悪い方にも特別扱いされないのがゴールだと思う。

足が不自由な人を見つけたら誰かが手助けするのが当たり前の社会。そこに優劣は無く。

P.S.
笑っちゃうレベルに字幕が酷かったね?
AIに自動翻訳させてるんだろうな?
そうに違いない?
イスケ

イスケ