御年94歳となるフレデリック・ワイズマンだが、そのお歳だと生きているだけで称賛を送りたくなるのにまだ現役でお仕事をしてくれているのだから全くもって頭が上がらない。同い年のイーストウッドも新作公開を控えているというし、二人よりはやや若いウディ・アレンも長く干されていたが今年はやっと新作を発表できたのだからのだからアメリカの1930年世代には何か特別な祝福でも贈られているのだろうか。関係はないけどそう考えれば宮崎駿もあと2本くらいはいけるんじゃないか? と思ってしまう。
まぁ老いてなお盛んなのは大変に結構なことなのですが、何と言ってもワイズマンの新作である。タイトルは『至福のレストラン/三つ星トロワグロ』という分かりやすいもの。トロワグロというのは何でも55年間にわたって三ツ星レストランの地位をキープし続けているという超が付くレベルで文句無しの名店中の名店である。それをワイズマンが撮るというのだから、まぁワクワクはしますな。個人的なことで恐縮だが、俺自身もそんなに凝ったものは作らないが料理は数少ない趣味の一つであり、若い頃は居酒屋とか寿司屋とかでバイトしていた経験もあるので本作は色々と興味深く観ることができた。
内容はまぁいつもの長尺なワイズマン作品で、ナレーションも字幕もなく淡々としながらもキレのよい映像で進んでいくドキュメンタリー映画である。ちなみにランタイムは240分。途中休憩タイムは入るもののクソ長い。その長さもあって…と言いたいが冒頭から速攻で20~30分近くは寝てしまったので単にいつも通りの劇場が暗くなったら寝てしまうという幼児並みの反応で最初の方は観逃したのだが、4時間もある映画なのでまぁ問題はなかろう。
20~30分は寝たといっても何だかんだ前半の半分以上は観ているわけで、そこで描かれたのはじっくりとレストランの内部を描いていくさまであった。冒頭は多分軽い説明を入れつつトロワグロというレストランの成り立ちと中心人物たちの紹介でもしたのであろうが、そこからはひたすら店の中のシーンが続いた。調理のシーンはもちろん給仕のシーンも切れ間なく続いていくのだがこれがまたリズム感のある映像で面白いんですよね。考えてみれば料理というのはリズミカルなものである。俺が料理について覚えている古い記憶も、夕方くらいの実家のリビング的な場所でファミコンをしている背中越しに母親が包丁でリズミカルに野菜を切る音や沸騰した煮物がコトコトと落し蓋を上下させる音や油が踊るように跳ね散るダイナミックな炒め物の音であった。また冷蔵庫を開け閉めする音や食卓に食器を並べる音も料理にまつわるリズミカルな部分であろう。本作はそういう料理のリズムというのが実に上手く描かれていてそれだけでも楽しかったですね。
そして後半は完全に一転、と言うほどではないのだが前半部分で描かれたお店の内部だけでなくその外部の描写、あとオーダーを通して浮かび上がってくる客の姿、ひいては一軒のレストランを通じて見えてくる世界の多様さを描くという方向にシフトしていき、さすがワイズマンという手腕であった。ま、そんな大げさなものではなく映画の舞台もトロワグロの周辺数キロくらいのものだとは思うのだが、オーナーが直々にチーズの業者の元を訪ねて店で使うチーズの吟味をしたり、ホールスタッフがその日に来店する客の件で非常に綿密なミーティングをしていたり、ケータリング的に駅前でお弁当を売りに行ったりする姿を描いたり、次男がやってる姉妹店的なレストランを描いたりもするのである。これは全て店の外に何があるのかを描いたものでトロワグロというお店が存在するためにはどのように社会と接続されているのかということでもあろう。ホールスタッフの打ち合わせなんかは店内の風景じゃん、と思われるかもしれないが実際に作品を観れば分かるように彼らはその日にやってくる客たちの名前や顔はもちろん、好みや嫌いな食材も当然のように把握して記念日か否かやお気に入りの席に案内できるかやアレルギー食材の有無や前回来店したときに紹介した新作デザートの内容が変更したことを伝えておかねばという、実に細々とした情報までスタッフ全員に周知して共有するのである。そこには被写体となっているトロワグロというお店を通じて、そこに外部からやってくる人間の姿が浮かんでくるようである。そのように映画の後半はトロワグロを取り巻く外部の姿が描かれる。
んでその前半と後半を通して何を観せてくるのかというと、やはりワイズマン作品全てに通じる命題としての社会なのではないかなと思いましたね。ただ本作ではその社会というのは大きな視点でその構造を冷徹に切り取っていくというものではなく、真逆に小さく暖かな視線で社会の最小単位を描くという方法をとっているのだと思う。つまり家族ですね。予告編を見ても分かるように本作ではトロワグロのオーナーシェフであるおじさんを中心として、その後を継ぐ長男と近所で姉妹店をやっている次男、ホテル業を担当している長女とそれら全体を統括しているオーナーシェフの妻、という存在が映画の核としてあるのである。健在なのか亡くなられているのかは不明だがオーナシェフの父親や祖父(流石に祖父は他界されているだろう)の話も作中で言及される。つまり本作はトロワグロというレストランの中心にいる一族とその周囲の社会、または世界を描いた映画なのである。
アメリカの食文化を語る上で欠かせないマクドナルドやKFCのような超巨大チェーン店ではなくヨーロッパの高級レストラン、しかも家族経営の規模としてはこじんまりとしたお店をワイズマンがチョイスした理由は何なのだろうか。恐らくだが、本作ではワイズマン作品では珍しく明確に主人公的なメイン被写体がいて物語的な面のある作品になっているということが関係あるのではないだろうか。それはもちろんトロワグロのオーナーシェフであるおっさんなのだが、それがまた面白いおっさんだったのである。高級レストランではままあることだが、コース料理のセッティングさえ出来たらシェフが客席に行って食事中の客に料理の説明をしたりするということがあるが、本作でもオーナーシェフのおっさんのそういう姿が描かれる。そのおっさんがまた、やたら人懐こくて話好きなおっさんなので料理の説明に留まらずに昔話とかまで初めて客が明らかに(そろそろ食わせろよ…)という空気を出しているにも関わらずに次々とトークを繰り出していくのである。痺れを切らした客がシェフが喋ってる最中に料理を食い出したシーンなんかは笑ってしまった。また、おそらく開店前だと思うが若いシェフが作った新メニューを食いながら、美味い美味いと言いつつ難癖つけてる姿も最高だった。「美味いけどソース多すぎだよなぁ、美味いけど付け合わせが合ってないよなぁ、美味いけど辛すぎない?」と細かいダメ出しをしつつ「ちょっと食ってみなよ」と別のスタッフに食わせたら「いやそんな辛くないですね」と言われて「え!? 俺だけ?」みたいなリアクションをするシーンも笑ってしまったな。
そういう非常に人間的な被写体が描かれるのはワイズマン作品ではあまり観たことがなかったので新鮮だったし、それが家族経営の高級店を描いた理由だろうとも思いましたね。つまりこれはエンタメなんですよね。本作はワイズマン流の娯楽エンタメであり、それは怜悧で身も蓋もない現実を描くというよりも暖かく希望のある物語を提供するという意図があったのではないだろうかと思う。システムとしての食産業の構造を描くよりも物語としてある家族が世代を越えて作り上げたレストランを撮りたかったのではないだろうか。それはちょっとワイズマン作品としては意外だったが、でもいいもん観れたなという気にはなれましたね。
実に幸福な気分になれる映画だった。料理という題材がそうさせるのか、ビジュアルと音がどちらも楽しい映画でもありました。まぁ料理に興味ない人には退屈かもだが、相変わらず一級品のドキュメンタリー映画でしたよ。もう一本撮ってほしいなー。長生きしてくれ、ワイズマン。
面白かったです。