たにたに

ありふれた教室のたにたにのレビュー・感想・評価

ありふれた教室(2023年製作の映画)
3.9
2024年30本目

現代社会の縮図を学校に置き換えて描いた今作。

主人公は小学校の先生であるカーラ。
最近金銭の盗難が増えていることから、他の先生も交え学級委員の生徒と話し合うシーンから始まります。
しかしある一人の先生は、強制ではないと前置きして、名簿を指差しながら怪しいやつの時にうなずきなさいと生徒に問いただす。
それを見てカーラは、"やりすぎでは"と述べるも止めるまでは至らない。

怪しい生徒の名は校長先生に報告され、両親共に学校で面談が行われます。うちの子に限ってそんなことは断じてあり得ないと一辺倒。カーラは、この件は解決よ、終了!とその場を治めます。

ここからカーラのある行動によって、一気に物語は混沌となっていきます。
カーラは"わざと"財布の入った上着を置いたまま、職員室を後にし、気付かれないようにパソコンで録画(盗撮)を図ったのです。

授業終わりに財布からお金が抜かれていたことに気づいた彼女はすぐさまパソコンを確認。上着に手を差し伸べる同僚のシャツを頼りに、1人の容疑者を洗い出すと、事もあろうか本人に"正直に言えば許す"と宣戦布告するわけです。

さて、どうでしょう、
この映画を見ていて、カーラに対して不信感や嫌悪感を抱く方はどれほどいるでしょうか。どちらかというと、周りの悪態の方が目について、彼女がかわいそうだ、むしろ正義だとすらも思えます。

ルービックキューブの色を揃えるアルゴリズムが作中でメタ的に述べられているように、物事への答えの導き方や順序を間違えると一生色が揃わない混沌とした状態に陥ります。

彼女のやろうしている正義は、全色を揃える希望そのものでしょう。
しかし、それは結局一色しか揃っていなかったわけです。正面から見たら揃っていても斜めから見たら色がぐちゃぐちゃかもしれません。

ある一面の色が揃っていても他の面がちぐはぐであるのはよくあることです。そもそも物事全てが一つの解に収斂することはありません。今回は学校でしたが、マスコミやSNSでは顕著です。結局自分の正義を振りかざすことでは何も生まれないのに、しかもそのことを知っているのに、やって後悔するわけです。

ではどうするか。
残念ながらこういった不和はなくならないでしょう。その後のことを考えねば。

オスカーのように抵抗するか、踏みとどまるしかないのです。
キング牧師のバスボイコット運動や、レストランの座席に居座り続けるなど、結局歴史的にこういう人がリーダーとなり正義となりえていくわけです。オスカーは友達に手を出したり破壊行動を行なっているので未熟ですが、ラストにある教室でオスカーと先生とのやりとりのように、一緒に過ごし、一つ一つ打ち解けていくしかありません。

被害者であり、当事者でもある意識は必要なのでしょうね。
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